彦根城の城下町

宗安寺 彦根城下町の見どころ

宗安寺は、彦根城の西、夢京橋キャッスルロードにある浄土宗の寺院。井伊直政の正室、東梅院(唐梅院)が父母(父は松井松平氏の祖である松平康親)の菩提寺として箕輪城下(上野国)に建立した安国寺を、佐和山城下経由で移したもの。関ヶ原の戦い後に西軍の安国寺恵瓊の名前を避けて宗安寺とした。

大坂夏の陣(八尾・若江の戦い・若江城付近)で豊臣秀頼の家臣、木村重成を討ち取った彦根藩士の安藤長三郎が、持ち帰った重成の首を丁重に葬ったという首塚がある。またその際、首を包んで持ち帰ったススキの穂が落ちて根付いたが、不思議なことに赤みがかった姿になったと伝わる。このため、「木村重成公血染めのススキ」と呼ばれるようになった。

また、朝鮮通信使の宿泊所でもあったため、朝鮮高官像などの関係資料が残っている。朱塗りで赤門と呼ばれている山門は、佐和山城の大手門を移築したと伝えられ、1701(元禄14)年の彦根大火で、寺の建物で唯一焼け残ったものである。また、火災の翌年には本堂を長浜城の付属御殿を拝領して再建している。

宗安寺の佐和山城移築城門
宗安寺山門(赤門)。佐和山城の移築城門と伝わるが裏付ける資料はない。建築様式は鏡柱が無いなど城門ではなく寺院の形式。

宗安寺本堂・彦根城下町
宗安寺の本堂。

宗安寺の木村重成の首塚と安藤長三郎の墓
宗安寺には木村重成の首塚と安藤長三郎の墓が並んで建てられている。

木村重成公血染めのススキ
木村重成公血染めのススキ。

宗安寺(滋賀県彦根市本町2-3-7)

(文=mario 写真=岡 泰行)

彦根城の城下町
彦根城

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