写真:岡 泰行

【城郭カメラマン撮影】

岡豊城の見どころと歴史
岡豊城の見どころと歴史

長宗我部氏累代の居城として知られる、岡豊(おこう)城。同氏は秦氏を祖とし、その一族である秦能俊(よしとし)が土佐に入部したと伝わるが、きっかけについては、保元の乱、承久の乱など諸説ある。いずれにせよ、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて、土佐に来たものと思われる。

移り住んだのは、長岡郡宗部(そがべ)郷だったことから宗我部を名乗るようになるが、隣接する香美郡宗我・深淵郷にも宗我部を名乗る一族がいたことから、長岡郡の宗我部が長宗我部、香美郡の方は香宗我部と称するようになったという。

その後、長宗我部氏は岡豊山に移り岡豊城を築いた。発掘調査により、その時期は13〜14世紀ごろだったとされる。同氏は土佐守護、細川氏の傘下に入り勢力を保った。1507(永正4)年、永正の錯乱によって管領、細川政元が暗殺され細川氏の影響力が衰えると、土佐七雄と呼ばれる国人領主(長宗我部、本山、香宗我部、津野、安芸、吉良、大平の各氏)が勢力争いを繰り広げる。

長宗我部氏も兼序(かねつぐ)の時代に、本山氏らに岡豊城を落とされている。兼序は嫡男の国親を土佐一条氏初代、房家に託した。落城時、兼序は自害したという説と、一度逃れた後、房家の仲介で本山氏などと和睦し、城を取り戻したとする説がある。

国親は、1547(天文16)年頃から勢力拡大に努める。香宗我部氏や吉良氏を傘下に加え、1560(永禄3)年には本山茂辰と戦端を開く。敵方の長浜城などを奪うが、その直後に急死してしまう。跡を継いだのは、本山氏との戦いで初陣を飾ったばかりの嫡男、元親であった。

元親は1562(永禄5)年に安芸国虎を攻めて自害に追い込むと、1575(天正3)年に四万十川の戦いで一条兼定を打ち破り土佐を統一した。さらに、阿波、伊予、讃岐にも攻め込み、1585(天正13)年には、湯築城(現・愛媛県松山市)主の河野通直を降し、四国全土を手中に収めた(元親による四国統一は未完という説もあり)。

同年、羽柴秀吉による四国攻めが始まると、長宗我部勢は敗色が濃くなり降伏。元親には、改めて土佐一国のみが安堵された。翌年、今度は秀吉の命により、島津氏に攻められていた大友宗麟の救援のため豊後に派遣されるが、戸次(へつぎ)川の戦いで敗れ、嫡男の信親を失っている。1588(天正16)年、元親は大高坂城(現・高知城)に居城を移し、岡豊城は廃城となった。時代を経て2008(平成20)年、国史跡に指定されている。

岡豊城の特徴と構造

岡豊城は香長平野を流れる国分川の右岸沿いの、標高97mの岡豊山に築かれている。山頂部に本丸にあたる「詰」が置かれた。そこから一段低いところに詰下段、さらには二ノ段、三ノ段、四ノ段と並ぶ「本城」部分は、連郭式の構造となっている。

岡豊城の詰
詰・礎石建物跡

詰の南西部や詰下段、三ノ段、四ノ段からは礎石建物跡が見つかっている。詰にある礎石建物跡は、その規模から、2層以上の建物があったと推定されている。それぞれの郭は土塁で囲まれていたとされ、土止めの石積みも見られる。また、詰と二ノ段の間は堀切となっていて井戸の跡もある。

本城跡から南西方向におりていくと伝厩跡曲輪、南麓には伝家老屋敷曲輪がある。また、本城の西斜面と、伝厩跡曲輪の南には竪堀群が見られる。本城の北に建つのは、高知県立歴史民俗資料館。岡豊城や長宗我部氏に関する資料が展示・収蔵されているので必見だ。

参考文献:『日本城郭大系15』(新人物往来社)、岡豊城現地案内板、高知県立歴史民俗資料館公式WebSite、南国市観光協会WebSite

岡豊城の関連資料

開館30周年記念企画展図録『長宗我部氏とその時代』1,500円(送料別)令和4年発行。そのほか『国指定史跡 岡豊城跡』300円(送料別)など。いずれも高知県立歴史民俗資料館で。

岡豊城の撮影方法
岡豊城の撮影方法

城山の南に流れる国分川の対岸から城山全景をどうぞ。

岡豊城の周辺関連史跡
岡豊城の周辺関連史跡

旧味元家住宅主屋

旧味元家住宅主屋高知県立歴史民俗資料館の隣に建つ茅葺きの住居は、高知県高岡郡津野町から移築された味元家(みもとけ)の主屋だったもの。移築に際しての解体時に、「天保三年」という墨書が見つかったことから、その頃に建てられたとされる。1991(平成3)年、ここに移築された。
毎月第3土曜びには囲炉裏に火が入れられ、囲炉裏端で学芸員の話を聞くイベントが開催されている。南国市岡豊町八幡。時間は9:30〜12:00(3月、4月、12月は実施しない)※詳細は資料館にお問い合わせを。

伝長宗我部氏一族・国親の墓

伝長宗我部氏一族・国親の墓岡豊山の北にある谷はもとは寺院があったらしい。その場所に長宗我部氏代々の墓所が残っている。二十数基の墓は大きな五輪塔を使っているといった風情ではなく、非常に小さな墓が無造作に並んでいる。墓地の上段には長宗我部国親の墓(伝)がある。詳しい場所は上記Googleマップ参照のこと。県道384号線からのアクセスとなる。

伝香川五郎次郎親和の墓

伝香川五郎次郎親和の墓高知県立歴史民俗資料館への道すがら、右側に香川五郎次郎親和の墓がある。親和は、元親の次男。讃岐の香川家を継ぐも秀吉の四国征伐で改易となり、戸次川の合戦で長男信親の死後、長宗我部の世継ぎが四男盛親になり、その後、病死したと伝わる。墓は元親の墓と同じく格式が高い宝篋印塔が使われている。詳しい場所は上記Googleマップ参照のこと。

雪渓寺

長宗我部元親の嫡男で、戸次川の戦いで討死した信親の墓(宝篋印塔)がある(高知県高知市長浜857-39)。なお、元親の墓は雪渓寺近くの天甫寺山にある。元親は伏見で没したため、こちらも宝篋印塔となっている。余談だが雪蹊寺は、もともと真言宗だったが元親の庇護により再興、以来、元親の宗派、臨済宗に。長宗我部元親の法名、「雪蹊恕三大禅定門」に因んで雪蹊寺と名前を改める。また、雪蹊寺の北東すぐにある秦神社は、戸次川合戦戦死者の霊板などが御神体で元親の木像がある。

そのほか、雪渓寺から浦戸城に至る付近には元親愛馬の碑、兵士の塚、元親の墓、元親の銅像がある。訪れる人が多いのだろう。長宗我部顕彰会の手によって花も生けられ掃除もいきとどき、大切にされている。

近隣の主要な城

高知城浦戸城(以上、高知市)、香宗我部城(香南市)、安芸城(安芸市)、久礼田城(南国市)など。

岡豊城のおすすめ旅グルメ
岡豊城のおすすめ旅グルメ

岡豊城の麓にレストラン岡豊城がある。

ごめんケンカシャモ

坂本龍馬も好んで食したというシャモ。昔ながらの100%純血種という全国的にも珍しい品種で、しっかりとした肉質と旨味で人気のケンカシャモ。通販もあるが、やはり地元で食べると一味違うらしい。扱い店は以下のサイトで紹介されている。

岡豊城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル
岡豊城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

この付近にホテルは無いため、高知城、浦戸城などとセットで回るなら高知市内の宿泊もアリ。

岡豊城のアクセスと観光情報
岡豊城のアクセスと観光情報

所在地

住所:高知県南国市岡豊町八幡1099 [MAP] 県別一覧[高知県]

電話:088-862-2211(高知県立歴史民俗資料館)

開館時間

岡豊城

城内は散策自由。

高知県立歴史民俗資料館

開館 9時〜17:00(入館は〜16:30)
休館日 年末年始(そのほか、臨時休館日あり)
観覧料 470円(特別展、企画展は別料金)
※毎年5月3日は無料

アクセス

鉄道利用

JR高知駅下車。バスまたはレンタカーなどで移動。
土佐大津駅(無人駅)下車。バスなどで移動

バス

高知駅バスターミナルから

とさでん交通路線バス、南国オフィスパーク、領石、田井方面行き(G5〜9)で約30分。バス停「学校分岐(歴史館入口)」下車、徒歩15分で資料館着。

土佐大津駅から

バス停「大津駅前」から南国市コミュニティバス(1日5便)高知医大方面行きで約14〜20分。バス停「学校分岐(歴史館入口)」下車、徒歩15分で資料館着。

マイカー利用

高知自動車道南国ICから10分。高知県立歴史民俗資料館を目指す。無料駐車場有り。

岡豊城の旅のチェックリスト (6)

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    国道32号線沿いに「ようこそ岡豊城へ」の看板があり、矢印に従って行くと「レストラン・岡豊城」に辿り着いた。仕方なくレストランの前方に見える「歴史民俗博物館」の標識に向かうと、そこが岡豊城跡だった。「わざわざ城跡にこんな施設を…」と思ったが、山頂の遺構が見せるために整備され、各郭には発掘調査時の写真と解説が掲示されており、城跡と言うより野外歴史館と呼ぶのがふさわしい。

    ( 城山神々)

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    建造物の礎石跡を現代風に展示した各郭と老樹(主に樫)の対比が面白い。土塁・堀切・竪堀などは、くっきり形状をとどめており、保存と整備の両立が訪れる者を退屈させない。所々に後から積んだのが明白な青石が点在するのは許容範囲内だが、気にはなる。

    ( 城山神々)

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    竪堀の中から突然顔を出し、ハイキングに来ている家族連れを驚かせてしまったが、年配の方もハイキングを楽しんでおり、岡豊山全体に遊歩道を敷いた公園化は各郭ごとの案内板と合わせて、建造物遺構の無い城跡整備として好ましいと思う。これも昭和初期に荒廃した城跡に私財を投じ、植樹等の公園整備に努めた西田一族のおかげです。

    ( 城山神々)

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    四国の覇者、長宗我部元親の本城だった。簡単に言ってしまえばある時代、土佐の首都だったが、その後本城を移すなどし、山内一豊が土佐に入封となったおり、土佐の首都は現在の高知城になる。現在、岡豊城跡は田畑が広がるところに小高い山、といった風景。開発の犠牲にならず見事に残り整備されている。余談だが元親も、現在の高知城の位置に城を築こうとしたことがあったようだが、洪水などに悩まされ断念するなど、高知城は立地は良いが築城しにくい土地だったらしい。

    ( 光秀)

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    新しく長宗我部元親の銅像が、歴史民族資料館前に2015年5月3日に設置された。

    ( shirofan)

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    岡豊城に模擬櫓が1400万円で建てられた。2017年4月1日から一般公開、2019年2月末まで(予定)。木造2階建ての櫓で丸岡城や松山城の野原櫓を模したデザインらしい。

    ( 長宗我部国親)

城の情報

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岡豊城の写真集

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