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岩出山城の歴史と見どころ
標高約108mの独立丘陵に築かれた岩出山城は、伊達政宗が仙台へ移るまでの本拠地として知られる。葛西氏の旧城を継承し、慶長3年(1598)に入城した政宗は、本丸や曲輪の整備を進め、麓には城下町を整えた。山上には土塁や空堀、堀切を活かした防御施設が築かれ、南麓には屋敷が展開するなど、戦国から近世への過渡期を映す構造が残されている。
岩出山城の歴史
岩出山城は、戦国時代後期に葛西氏の拠点として築かれた山城だ。築城の正確な年代は伝わっていないが、標高約108mの丘陵上に曲輪や土塁を備えた構造が確認されており、葛西氏がこの地を治めていた時期に築かれたと見られている。天正18年(1590)、豊臣秀吉による奥州仕置により葛西氏は改易となり、岩出山城も没収された。
その後、葛西・大崎の旧領では一揆が発生し、豊臣政権のもとで木村吉清らが一時的に統治したものの、政情は安定しなかった。慶長3年(1598)、秀吉の命により、伊達政宗が岩出山に転封され、米沢城から本拠を移してこの城に入った。
岩出山は、出羽仙台街道(北羽前街道)と陸奥上街道に面し、さらに秋田へ向かう羽後街道とも接続する交通の要地として機能していた。
政宗は在城中、本丸や曲輪の整備を進めるとともに、麓には城下町を築き、軍政の中心として岩出山を整えた。慶長8年(1603)には仙台湾を望む青葉山で仙台城の築城を始め、翌慶長9年(1604)には本拠を仙台へと移している。
その後、岩出山には庶長子の伊達宗実が入り、以降は岩出山伊達家が本拠とした。宗実の家系は仙台藩の重臣家として存続し、岩出山の地を治め続けた。
この時期、政宗は家臣団の再編も進めており、重臣・片倉小十郎景綱には白石の地が与えられ、白石城が整備された。岩出山・仙台城・白石という三つの拠点が、伊達家の初期領国経営を支える重要な柱となっていった。
江戸時代に入ると、幕府の一国一城令により岩出山城は廃され、南麓には伊達家の陣屋が置かれた。城としての機能を終えたのちも、岩出山は支族による政治拠点として活用され続け、静かに時を刻んでいくこととなった。
岩出山城の特徴と構造
岩出山城は、自然地形を巧みに利用して築かれた中世の山城だ。標高約108mの独立丘陵上に主郭が置かれ、尾根筋や斜面を削平して複数の曲輪が段状に並べられていた。郭ごとに高低差があり、視界と防御性を兼ね備えていたとされる。
発掘調査によって、主郭部には土塁や空堀が良好に残されており、特に南側や東側の堀切は、敵の侵入を防ぐ構造であったことが確認されている。西側斜面には竪堀とみられる切り通し状の地形も認められ、斜面方向の防備にも配慮が施されていた。石垣は虎口周辺などに限定的に使われており、構築物の大半は土で築かれていた。
岩出山城の縄張は、尾根筋に沿って主郭・二の丸・三の丸が直線状に連なる連郭式の配置とされている。曲輪群は段状に展開し、南に大手、北東に搦手を配したとされる。現在の岩出山小学校周辺がかつての大手門跡にあたるという。
城の南麓には城下町が広がり、現在は「城山公園」として整備されている。この一帯には江戸時代、岩出山伊達家の陣屋が置かれ、家臣団の屋敷地も設けられていたと伝えられている。今日では曲輪跡・空堀・土塁などの遺構がよく保存されており、戦国から江戸初期にかけての山城の構造を今に伝えている。
本丸跡と虎口
本丸跡は城山公園の最頂部に位置し、東西32 m・南北205 mと広大で土塁が連なる。
二の丸・三の丸
本丸の西側に位置する二の丸は東西83m、三の丸もその周囲に展開し、連郭式の縄張りを成している。二の丸にはかつて岩出山伊達家の居館が置かれていたが、寛文3年(1663)の火災によって焼失した。翌年、二代宗敏がその跡地に仮御殿を建てて移り住み、後にこの建物が学問所へと改修される。元禄年間には藩校「春学館」となり、やがて有備館と称されるようになった。
土塁・空堀・堀切
東西に張り巡らされた土塁や、南東側約10m幅をもつ空堀は、敵の侵入を阻む防御施設として整備された。西と東の尾根筋には堀切が設けられ、尾根づたいの接近経路を遮断している。南西部には、二の構・一の構(にのがまえ・いちのがまえ)と呼ばれる鍵型の土塁・空堀が残る。
内川水路
内川はかつて城の外堀として機能し、防御のみならず灌漑や生活用水として利用され、資料によっては筏流しや水車の活用も伝えられている。今日も学問の道や疏水百選・世界かんがい施設遺産の指定を受けて自然と歴史を継承する存在である。
旧有備館及び庭園
有備館は延宝年間(1677頃)に二代宗敏が隠居所として建設した隠館で、後に藩校となる。1715年(正徳5年)には四代村泰が庭園を整え、岩出山城の断崖を借景とした回遊式池泉庭園が完成され、国指定史跡・名勝として現在も残る。建物は茅葺平屋で、正面の庭園や偏額「對影楼」も見どころだ。
参考文献:
- 『岩出山城跡発掘調査報告書』 調査報告書(1986大崎市教育委員会)
- 『旧有備館および庭園』 資料(宮城県・大崎市教育委員会)
- 大崎市Webサイト「岩出山城址(城山公園)」
- 仙台市Webサイト「仙台城跡」
- 白石市Webサイト「白石城跡」
- 米沢市Webサイト「上杉神社・米沢城址」
岩出山城の学びに役立つ本と資料
『伊達政宗と岩出山』(1986岩出山町教育委員会)が良い。現地では伊達家の学問所「有備館」に展示資料がある。
岩出山城の撮影スポット
城山公園から岩出山の町を撮影すると良い。季節は秋がGOOD(奥羽越列藩同盟 98.12.21)
岩出山城周辺の史跡を訪ねて
岩出山の城下は、政宗の入城以降、学問・武芸・技術の拠点として整備され、今もその面影を随所に残す。城跡を中心に半径1〜2km圏内には、藩校・武家屋敷・水路跡などが点在し、徒歩でも巡れる距離感が魅力だ。とりわけ旧有備館や内川の流れは、写真にも映える美しさを湛えており、歴史散歩に彩りを添える。
旧有備館および庭園
延宝年間(1677頃)に建てられた伊達家の隠居所で、のちに藩校として用いられた。書院造の茅葺平屋と、岩出山城を借景とした回遊式庭園は、国の史跡および名勝に指定されている。現在は内部の見学も可能で、襖絵や庭の眺望は撮影にも最適。四季折々の彩りが訪問者を迎える。
内川と遊歩道『学問の道』
岩出山城の堀と灌漑に用いられた人工水路「内川」は、町の中心を流れつつ、藩校へと続く「学問の道」を形作っていた。現在も清流として整備され、遊歩道には石橋や柳が続く風景が残る。
城下町の名残を感じる町並み
旧町割の名残をとどめる岩出山町内では、石垣や門構えに往時の城下町の雰囲気が感じられる一角もある。特に旧大崎八幡宮周辺は、城下に隣接した地形と静かな景観が残り、歴史散策にも適している。
岩出山城周辺のおすすめ名物料理
岩出山城(城山公園)周辺の城下町では、伊達政宗ゆかりの歴史にふれながら、宮城の米どころならではの食文化が楽しめる。名物としては、凍り豆腐や納豆、しそ巻きなどの保存食が知られ、地元ならではの滋味深い味わいが魅力。甘味では、酒まんじゅうやみそアイス、清酒ゼリーなども人気を集めている。さらに、うなぎ好きにおすすめしたいのが、地元で親しまれる「紅葉軒」の蒲焼。皮を表にした独特の焼き方や、骨の甘露煮など、ここならではの味を堪能できる。
岩出山城のアクセス・所在地
所在地
住所:宮城県大崎市岩出山城山 [MAP] 県別一覧[宮城県]
電話:0229‑72‑1211(岩出山総合支所地域振興課)
アクセス
鉄道利用
JR陸羽東線、有備館駅下車、徒歩10分。ただし坂道を登らなければならい。または、岩出山駅下車、徒歩15分。有備館を訪れることを考えれば有備館駅か。
マイカー利用
東北自動車道、古川ICから、14分(9.8km)、無料駐車場(20台)有り。
※本記事は城郭カメラマン岡 泰行(プロフィール)監修のもと編集部にて構成しました。
岩出山城に寄せて
これまでに届いた声:全5件

典型的な山城です。城跡は公園になっていて、なかなかの眺めです。ただ山の上にあるので歩くと結構きついです。城山公園からみた岩出山の町や田圃の風景はなかなかのものでした。米沢から田舎に追いやられた正宗の心中を思うと複雑な心境。政宗の銅像があり毎年春には桜まつりが開かれます。
( 奥羽越列藩同盟)さんより
天正19年(1591)、奥州仕置によって、伊達正宗が米沢城より移された。正宗が仙台へ移った後は、正宗の4男宗泰が領主(1万5千石)となった。ちなみに江沢民が訪問した北海道当別町は岩出山伊達家の一族がその開拓にあたったのである。
( 奥羽越列藩同盟)さんより
有備館。まずここを見学してから登城すべし。庭園がすばらしい。有備館駅の目の前にあり。そのほかにもいくつか寺や史跡があります。
( 奥羽越列藩同盟)さんより
政宗が一時期本拠とした岩出山城に行きました。岩出山城の本丸跡は現在は城山公園となっています。まずは本丸の上まで車で上がると案内図があったので、それを見ると北の方に空堀跡があったのでまずはそちらに行ってみることにしました。一度一段下の二の丸跡(?)に降り右の方へしばらく進むと、かなり深い空堀跡がありました。そこから下をのぞくと断崖絶壁で、岩出山城がまさに要害の地に建っているということが実感できました。そして再び本丸跡の方に登ると伊達政宗の像がありました。そのすぐ近くに内門跡があり、ここは門跡をはさんで両側に土塁が残っていました。そこで再び下に降り今度は左の方に進んでいくと途中に空堀跡らしきものがありました。そのあとぐるっと回って元の場所に戻り、有備館の方へ行ったのですが、あとからデジカメで撮った案内図を見直してみると物見跡や堀切跡などいくつか見落としたものがあったようです。そのあと学問所として使われた有備館を見学しましたが、茅葺きの書院造りで庭園もありとても落ち着いた雰囲気でした。
この有備館で、「伊達政宗と岩出山」「史跡のまち岩出山の文化財 第一集~第三集」という小冊子を売っていましたのでつい4冊とも買ってしまいましたが、岩出山城のことについては「伊達政宗と岩出山」だけで充分だと思います。
( KUBO)さんより
岩出山城は麓から頂上までクルマで上がれますよ。本丸周辺や伊達政宗の像などは普通に歩いて見学できると思います。本丸の西側は一段低くなっていますが手すり付きの階段があるのでそれほどキツくはないでしょう。そこから岩出山高校のグランドを左手に歩けば広場があり、そこから景色が開けます。
( たかしPart3)さんより