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三成派(1046票) 家康派(534票) |
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1位 大谷吉継(175票) 2位 島津義弘(112票) 3位 真田幸村(102票) 4位 島左近(92票) 5位 小早川秀秋(82票) |
三成派 やはり、正義でしょう、本当は三成の心情はどうだったのかわからないがなんとなく邪心はなかったと私はおもう。
真田昌幸 表裏卑怯者と言われているが戦国の世を巧みな戦術で切り抜けたから。さらに関が原の戦いで西軍に味方したのはぐぅっとくる。
三成派 石田様の生きかたこそ、人としての手本である。その石田様に刃向かう家康は愚か者である。今の時代、石田様の生き方が必要である。
明石全登 決戦の声優が孫堅だから。
三成派 朝鮮出兵も終わり、世が平和になったと思った矢先に関ヶ原!!家康お前何考えてんだ!!貴様は私利私欲のため上杉閣下にいちゃもんをつけ、罪も無い石田殿を陥れ、民にさらなる疲弊を与えた。貴様は死罪にあたる!!貴様が”今”の礼儀知らずを生み出したに他ならない!!東軍に味方した忘恩の輩も当然死罪になるべきだ!!こんな不条理な戦で死んだ兵士や武将が哀れでならない・・・
島左近 島左近を初めとする西軍武将(上杉、直江、大谷、宇喜多、明石、戸田、平塚、、小西、真田親子、佐竹、立花)とにかく彼らが哀れでならない。家康の勝手極まりない暴挙の犠牲になり、死んだもの、領地を削減されたもの(毛利らを除く)達の気持ちは半端なものじゃないだろう。結城秀康や松平忠輝なども家康に迫害されつづけとにかく哀れだ。彼を美しく評価する人間の気が知れない・・・
三成派 忠義心厚く、夢・理想を持って行動し、義に殉じ最後まで希望を捨てず生涯を閉じた。徳川時代にその人物像を歪められたが、島左近・蒲生郷舎等多数の有能な家臣が最後までついてきたぐらい魅力的な人物だったと思う。
宇喜多秀家 全力で戦い抜き、徳川三代まで長生きし、幕府に媚びなかった。
三成派 三成は秀吉の遺言を守り、秀頼を盛り立てようとした忠義ものだから。わずか佐和山数十万石の彼が関八州に250万石の憎き家康を除こうとした勇気ある武将だから。悔しいのは秀吉が一番頼みにしていた利家と家康なのに遺言をないがしろにし徳川が豊臣から簒奪したのは日本史の汚点である。もし利家が関ヶ原まで存命であって秀頼を西軍の旗頭にしていれば家康は謀反者だったはずだ。豊臣時代が長く続いていれば日本の近代化は欧米諸国と同時期で明治維新に無理に拡張政策をせずひいては第二次世界大戦の敗戦国にもならなかったはずだ。
真田幸村 関ヶ原の敗戦後、九度山に蟄居するも豊臣のため大阪の陣まで家康を追い詰めたから。
三成派 西軍の武将たちの方が、東軍の武将たちよりもさわやかなイメージがあるではありませんか。
九鬼嘉隆 海賊の大将で、相当凄味がありそうです。どなたかが、信長の孫の秀信(元・三法師)を、関ヶ原関連のドラマで登場させるべし、とおっしゃられていましたが(私も賛成)、九鬼嘉隆も是非、登場させてほしい。 子供たちにも人気が出てヒーローになると思う。 伊勢の方でも戦っていたんだから。
三成派 東軍は「利」だが、西軍は「義」だから。
吉川広家 いまだに吉川晃司ファン(ふ、ふ、古いっ!)で彼の遠いご先祖様かもしれないから。 「笑っていいとも」のあのコーナーに晃司が出たとしてもタモリや爆問には「広家」という名前、ヒントなしでは出てこねえだろうなあ・・・。
三成派 もしも三成方が勝っていたら日本は今どうなっていただろう?!といろいろ想像をめぐらすことができるじゃんか! 歴史はロマンですよ、ロ・マ・ン!!
島左近 私は博多っ子なのですが、関ヶ原から何年も経って、黒田家の家臣たちが「左近は凄かった、怖かったぁ〜!!」という内容の話をしたとのこと。「こ〜れぞま〜こ〜との黒田武士」でさえも身震いさせるほどのオトコはすごいんだろうな!
三成派 みつなりがかっていればtradeちゅうしんのmonetary economyが17th centuryにcompleteしていたようなきがします。いえやすがかってしまったのでagricultureちゅうしんのsocietyができてしまいこのことがにほんのはってんをおくらせてしまいましたね。いえやすはぐんじんとしてはexcellentでしたがstatesmanではありませんね。
島左近 みつなりがいえやすとたたかうことができたのはかれのgovernanceがあったからですね。
三成派 小学低学年のときTBSの'81正月特番「関ヶ原」を見て以来、三成の方に同情しております。三成=加藤剛、家康=森繁久弥ほか豪華名優をずらりとそろえたドラマです。 まだ見たことがない若い人たちは、レンタルビデオで是非見て欲しいですね。「家康派」の人たちだって、脚色だとわかりつつも、三成に感情移入して思わず「徳光和夫さん状態」になる=号泣してしまうこと請け合いです。特に、古橋村の洞窟に三成を匿った与次郎大夫(今福将男)が、「わしの様な者に、『義』だなんて・・・・もったいない・・・」とすすり泣くシーンや、家康が最後に「これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれればよいが・・・。 義・忠義の家臣にのう・・・。」と本多正信(三国連太郎)に語りかけるシーンなど。 TVで芸能人が、「どっちが早く涙を流すか」競争をしているのをみたことがありますが、今述べたシーン(他にも名シーンあると思う)を思い浮かべればその競争に絶対勝てるでしょう。
上杉景勝 同じくその「関ヶ原」で三沢慎吾という、あまり知名度のない役者さんが演じていたが、東軍が小山軍議後、西へ反転した情報を、直江兼継(細川俊之)からもたらされた時のやり取りが超かっこいい。 兼継:「(家康軍を)追って出とうはござりまするが、背後の伊達が!」 景勝:「ぬぬぅ・・・伊達かぁ・・!」の、「伊達かぁ・!」の部分は、超かっちょいい。 ちなみに、伊達政宗は登場しなかったのでちょっと残念。
三成派 判官びいきというか、泣かせてくれるほうが好きだから。
織田秀信 これまで、関ヶ原を扱った時代劇はたくさんTVで放送されましたが、関ヶ原前哨戦の、東軍による岐阜城猛攻にさらされた、なんといっても総見公のお孫さんという結構重要な役どころのはずにもかかわらず、この人(当時ハタチくらいか?)は、まったく出てこない。 山崎合戦後の清洲会議で秀吉に抱えられていた幼児が、関ヶ原とその後をどう生きたか、今後の時代物ドラマで少しは扱ってもいいのでは?(金吾中納言とほぼ同い年くらいか?)
三成派 外国人の俺からみると、やり方や個人能力はともかく三成は理想と信念のともで、関ヶ原で家康と対決したと思います。それに対して、家康はただの欲張り屋さんに過ぎないと思います。
島津義弘 史上未聞の脱出劇を演じた島津系に敬礼!!!多分世界史に載せてあるすべての戦いにおいてもその脱出劇は一番すごいでしょう。P.s.小早川はくずです!!!
三成派 裏切りがあるまでは、西軍優勢だったとよく本に書いてある・・・それにしてもあんな結末、我が国の歴史のターニングポイントがあんなんでは、日本人として納得できるわけがなく、怒り心頭!
蒲生郷舎 「蒲生氏郷は、三成に毒殺された。」などという話は江戸幕府御用学者による、それこそ時代を超えた讒言だ。 旧主を毒殺するような人間に、郷舎が仕えるわけがないし、それは関ヶ原での郷舎の獅子奮迅の働きと壮絶な討ち死にを見ても一目瞭然なり! また、「三成讒言しまくり説」(利休、秀次、清正、長政などなど他にも異常なほど多数!)を平気で述べ立てる歴史評論家・歴史小説家どもが、わんさとはびこっている現状だが、「徳川主体(チュチェ)思想」の400年もの長きにわたる腐った洗脳から早く目覚めろっ!このボケカスがぁぁっ!」とぶん殴ってやりたい。三成は、讒者=「チクリマン」などでなく、今もボケ歴史作家の連中どもによって、まさに讒言され続けている被害者である。
三成派 家康めは、北朝鮮の金正日と共通点が多すぎる。おのれを神格化し国民をマインドコントロールした「将軍様」である点。 国を閉ざし、近代化を遅らせた点。 動物に例えれば、タヌキである点。・・・・などなど。 そんな奴など支持できるものか!!
吉川広家 タヌキじじいを勝たせてしもうた罪は、ある意味金吾のこせがれ以上。 元就公の御遺言(決して天下を望むな!天下を窺った時は毛利の滅びるときぞ!)を守ったのじゃ・・と言い訳すんな!てめえが若い秀元に「カラ弁当」させ、桃配山の背後を突かせんじゃったけぇ、わしらが住んじょる山口は田舎なんじゃけぇ!松陰・晋作・小五郎・博文なんかが維新で活躍したにもかかわらずのう・・・。
三成派 単に家康が嫌いだから。三成も好きにはなれないが、自分の天下取りしか頭のない家康よりも、忠義を尽くした秀吉のために戦った三成の方がまだ、武士らしい。
真田幸村 勝敗関係なく、自分の武勇を見せしめるために戦った幸村はかっこいいと思う。