府中城の歴史・見どころ

府中城の歴史

府中城(ふちゅうじょう)は、現在の越前市中心部にあった平城・居館で、その起源は朝倉氏の奉行所に求められる。天正年間(1573〜1592)には前田氏によって修築され、天正3年(1575)には前田利家が府中城に入った。利家はその後、能登一国を与えられて七尾城へ移った。

その後も府中城は受け継がれ、慶長6年(1601)、結城秀康が越前北ノ庄城福井城)へ入ると、家臣の本多富正に3万9千石を与えて府中に居館させた。富正は前田氏時代の府中城を修築し、自らの居館としたとみられている。

府中本多氏は富正の後、昌長、長員と続き、貞享3年(1686)、福井藩の半知に伴って2万石となった。その後は長教、副紹、副充、副昌、富恭、副元と続き、明治維新まで府中を治めた。城下は南北に通る北陸街道を軸として形成され、街道の東側には本多氏の居館を中心に侍屋敷、西側には町屋敷や寺社屋敷が配された。現在も府中城そのものの姿は失われているが、城下町の町割にはその構成を伝える部分が残されている。

府中城の特徴と構造

府中城は、日野川西岸に広がる平地、旧北陸街道の東側に築かれた平城・居館で、『日本城郭大系』では規模を約100m×180mとしている。居館は南面し、南北にやや細長い矩形をなしていたとみられる。府中の市街地を南北に貫く北陸街道との関係も明瞭で、街道東側に居館と侍屋敷、西側に町屋敷や寺社屋敷が置かれ、城を中心として城下町が形成されていた。

居館の東側と北側には、本多氏が府中へ入る以前から堀が存在した。正徳元年(1711)の絵図には「古堀 長さ三十間 幅五間」と記され、さらにその外側には、日野川の乱流を利用したとみられる外堀も存在したとされる。

平成28年度(2016)から平成29年度(2017)に行われた越前市役所本庁舎建設に伴う発掘調査では、現在の市役所本庁舎東側から南北方向に延びる長さ40.8m、高さ0.66〜3.13mの石垣が確認された。石垣は流紋岩の自然石を用いた野面積みで、大きな石の隙間にこぶし大の河川石を中心とする多数の間詰石を詰めている。石垣の間や背面の裏込石から出土した墓石や瓦の年代から、近世初期までに築かれたものと考えられている。

府中城
現在の越前市役所周辺が府中城跡。市役所前には城址碑と発掘された石材を利用した石垣が整備されている。
府中城石垣
府中城石垣の上面。石垣に詰められた裏込め石を間近に見ることができる。

府中城の整備状況

府中城の中心部には現在、越前市役所が建ち、城郭としての建物や堀などは残されていない。一方、平成28年度(2016)から平成29年度(2017)の市役所本庁舎建設に伴う発掘調査によって、本多家の居館を囲んでいた石垣が確認された。現在、市役所前では発掘された石垣の石を利用し、野面積みや間詰石など発掘時の積み方と特徴を生かして新たに築いた石垣を見ることができる。

府中城移築城門(正覚寺)
正覚寺の山門として残る府中城の旧表門。江戸時代の本多家居館から移築されたもので、屋根に笏谷石を用いているのが特徴。

また、城跡近くの正覚寺には、江戸時代の府中城表門を移築した山門が残る。高さ約5mで、屋根を笏谷石で作られているのが特徴だ。本多家の立葵紋も懸魚に刻まれている。府中城跡では往時の城郭を地上でたどることは難しいものの、市役所前の石垣と正覚寺の旧表門が、府中城の姿を現在に伝えている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系11』(新人物往来社)
  • Webサイト「越前府中城跡」(福井市観光振興課)
  • 「府中城跡石垣」「正覚寺」現地案内板(越前市)

府中城の撮影スポット・絶景ポイント

府中城跡で城の痕跡を目にできる場所が、越前市役所の東南隅に整備された石垣。発掘された石材を利用し、発掘時の積み方や特徴を生かして新たに築かれたもので、午後は逆光になりやすい。石垣を撮影するなら、陽の当たる午前中に訪れたい。また、正覚寺の移築城門は南向きだ。

府中城周辺ホテル・宿泊情報

府中城跡のある武生は、福井や敦賀をめぐる途中に立ち寄りやすく、城めぐりを目的に宿泊する機会はそれほど多くない。武生で宿を取るなら、城跡からも近い武生駅周辺が便利。「ホテルクラウンヒルズ武生駅前」や「スーパーホテル越前・武生」などがある。

府中城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:福井県越前市府中1-13 [地図を見る]

県別一覧:[福井県の城]

電話0778-22-3000(越前市役所)

アクセス

鉄道利用

ハピラインふくい線「武生駅」下車、西へ徒歩約2分。

マイカー利用

北陸自動車道「武生IC」から車で約10分。越前市役所駐車場(125台・1時間無料)有り。

地図