小松城の歴史・見どころ

小松城の歴史

小松城(こまつじょう)の成立時期は明らかではない。もとは一向一揆勢力によって築かれたと考えられているが、中世段階の城の実態は判然としない。資料上の初見は天正11年(1583)。柴田勝家が羽柴秀吉に敗れた後、秀吉配下の前田利家が柴田方から「小松之城」を受け取り、堀秀政へ渡したことが書状にみえる。その後、丹羽長秀の与力であった村上頼勝が城主となり、能美郡を支配した。

慶長3年(1598)、村上頼勝が越後本庄(村上城)へ転封されると、丹羽長重が小松城に入った。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦に際しては、徳川方の前田利長と西軍側の丹羽長重が対立し、小松城南方の浅井畷で戦闘となった。長重は戦後に改易され、小松城を含む能美郡は前田氏領となり、以後は城代が置かれた。

小松城が現在知られる近世城郭へ大きく姿を変えたのは、寛永16年(1639)に加賀藩三代藩主・前田利常の隠居城と定められてからとなる。利常は嫡子の光高に家督を譲り、小松への隠居と城の修築を幕府に願い出て許可された。一国一城令のもとで、金沢城とは別に小松城の存続と修築が認められた異例の例となった。

寛永17年(1640)、利常は小松城へ入城した。従来の城郭地を本丸とし、二の丸、三の丸、葭島、琵琶島、中土居などを増築し、城郭だけでなく城下町を含めて大規模な整備が進められた。石垣も新たに構築され、同年9月には城の修復が完成したとされる。正保2年(1645)に四代藩主・前田光高が急死すると、小松城は加賀藩政の実質的な中心となった時期もあった。

利常は万治元年(1658)に没するまで19年間を小松城で過ごした。利常没後も城代や城番が置かれ、城郭は幕末まで維持されたが、幕末にはすでに取り壊しが始まった。明治5年(1872)には三の丸に小松懲役場が置かれ、囚人の労役によって城の取り壊しや土地改良が進められた。堀の多くも埋め立てられ、城域は次第に市街地へ姿を変えていった。

小松城の特徴と構造

小松城は、梯川下流の低地に築かれた平城。昭和期の河川改修以前には、梯川が城の北側から西側を大きく蛇行し、その流れや周辺の沼地を城郭に取り込んでいた。東・南側には新町堀や九竜橋川が外郭線を形成し、城下には主要街道である北国街道も取り込まれた。梯川を下れば約3km先の安宅湊へ通じ、前川を介して加賀三湖とも結ばれる、水上・陸上交通の要地に位置していた。

前田利常による整備後の城域は約56万㎡に及び、その約30%を堀が占めていた。川の水を引き入れた広大な堀の中に8つの島状の曲輪を配置し、水面に曲輪が浮かぶような姿から「小松の浮城」と呼ばれた。曲輪を重ねて中心部を守る渦郭式の構造を持っていた。低湿地に築かれたため、水害への備えとして盛土を施し、各所には護岸を兼ねた石垣が築かれた。

現在も残る本丸櫓台石垣は切込接ぎで、四隅は精巧な算木積みだ。石材には金沢産の戸室石と小松産の鵜川石などが用いられ、現地案内板によれば全体の約8割を地元産の凝灰岩が占める。本丸西側には堀石垣の一部も残る。北側には約20mにわたる突出部の石垣が残り、その先には中土居へ渡る車橋が架けられていた。発掘調査でも三の丸の堀跡や石垣が確認されており、地上から失われた城郭構造の一部が地下に残されている。

小松城の整備状況

明治以降の破却と堀の埋め立てによって、小松城の城域は大きく姿を変えた。現在、本丸・二の丸周辺は県立小松高校、三の丸周辺は芦城公園や宅地となっている。現地で確認できる代表的な遺構は、小松市指定文化財の本丸櫓台石垣、その北側に残る井戸跡、西側の本丸堀石垣となる。

また、来生寺には二の丸の鰻橋御門が寺門として移築されているほか、稚松小学校には小松城の常盤門と伝わる移築門も残る。そのほか平成21年(2009)や平成25年(2013)などの発掘調査では、地下から石垣、堀跡、いぶし瓦などが確認されており、市街地となった城跡の地下にも遺構が残されている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系7』(新人物往来社)
  • 『小松城跡発掘調査報告書』(2011小松市教育委員会)
  • 現地案内板「小松城」「小松城本丸櫓台石垣」(小松市教育委員会)
  • Webサイト「小松城跡」(小松市)

小松城の撮影スポット・絶景ポイント

小松城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、小松城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

小松城周辺の観光スポット・史跡めぐり

材木町の町並み

小松城下の面影をたどりながら歩きたい町並み。材木を扱う職人が多く暮らしたことから材木町と呼ばれ、現在も千本格子を備えた町家や石蔵などが残る。小松市では伝統的な町家を「こまつ町家」として認定し、歴史的な町並みの保存と活用を進めている。小松城だけでなく、城下町まで歩いて楽しみたい人におすすめ。

小松宿本陣跡

小松城下を通る北国街道の小松宿に置かれた本陣の跡。北国街道は近江から福井、小松、金沢方面へと通じ、小松では前田利常の時代に街道を取り込んだ城下町が整えられた。現在の市街地を歩きながら、城下町であると同時に街道の宿場でもあった小松の歴史をたどることができる。

浅井畷古戦場

慶長5年(1600)、関ヶ原合戦を前に、徳川方の前田利長と西軍側の小松城主・丹羽長重が戦った古戦場。小松城の南方に位置し、丹羽勢の急襲によって前田方にも戦死者が出た。北陸における関ヶ原合戦の前哨戦として知られ、小松城とあわせて訪ねたい史跡。

越前丸岡城 移築城門

小松市松任町の興善寺に残る、越前丸岡城から移築されたと伝わる城門。明治初期の廃城に伴って丸岡城から移されたとされ、現在は興善寺の山門として使用されている。小松城の城下町を歩きながら、越前の丸岡城にゆかりを持つ城門を見ることができる。

手取川古戦場

天正5年(1577)、上杉謙信と織田方の軍勢が対峙した手取川の戦いにゆかりのある地。加賀へ進出した上杉勢と、柴田勝家ら織田方の武将が戦ったとされる。戦国時代の加賀をめぐる勢力争いをたどる史跡として、小松城とあわせて巡ることができる。

源平・義経ゆかりの地をめぐる

小松から加賀にかけては、源平の時代をたどる史跡も点在する。安宅の関跡は、歌舞伎十八番「勧進帳」で知られる源義経・武蔵坊弁慶ゆかりの地。さらに加賀方面へ足を延ばすと、寿永2年(1183)、倶利伽羅峠の戦いに敗れた平家軍を木曾義仲軍が追撃した篠原古戦場があり、平家方の斎藤実盛が討死したと伝わる。周辺には実盛を祀る多太神社などの史跡も残り、小松城めぐりとあわせて源平の時代まで歴史をさかのぼる旅が楽しめる。

小松城周辺グルメ・名物料理

小松うどん

小松を代表する郷土の味。細めで程よくコシのある麺と、ウルメやムロアジ、サバ節などを使っただしを特徴とする。江戸時代には加賀藩の名産として知られ、元禄2年(1689)には松尾芭蕉が小松を訪れた際、うどんを贈られたことを示す記録も残る。現在は文化庁の「100年フード」に認定され、市内各店で味わうことができる。

塩焼きそば

小松で長く親しまれてきたご当地グルメ。中国の炒麺をもとに、小松の町中華で生まれたとされる。太めでもっちりとした麺を炒め、塩味を基本に仕上げるのが特徴で、ソース焼きそばとはひと味違う素朴な味わい。小松のソウルフードとして、市内の中華料理店などで味わえる。

小松城周辺ホテル・宿泊情報

小松のホテルは、北陸自動車道「小松IC」周辺とJR小松駅周辺に集まっている。小松城を訪ねるならJR小松駅周辺が便利。小松を旅の拠点として、金沢方面へ城めぐりを続けるのもよく、白川郷方面へ足を延ばす旅程も組みやすい。

小松城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:石川県小松市丸内町二ノ丸15 [地図を見る]

県別一覧:[石川県の城]

電話0761-24-8130(小松市観光文化課)

アクセス

鉄道利用

IRいしかわ鉄道線「小松駅」下車、市内循環バス「市役所前」降車、徒歩10分。

マイカー利用

北陸自動車道「小松IC」から、約10分。小松市役所など周辺駐車場を利用する。

地図