旧二条城は、織田信長が足利義昭のため永禄12年(1569)に築いた城館。石垣や三重の堀、櫓、門を備え、石仏や石塔も石垣に転用された。現在は城跡碑や京都御苑に復元された石垣などを訪ねることができる。このページでは旧二条城の歴史や構造、見どころ、撮影スポットを豊富な写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
旧二条城の歴史・見どころ
旧二条城の歴史
旧二条城は、織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭のため、永禄12年(1569)に築いた城館。当時は「二条城」とは呼ばれず、「武家御城」「公方様ノ御城」「武家御所」などと呼ばれていた。築城地にはそれ以前、第13代将軍・足利義輝の御所が置かれ、堀を備えていた。『言継卿記』や『信長公記』の記述に加え、発掘調査でも義輝時代の堀の北側に大規模な堀が造られたことが確認され、義輝の御所と堀を利用して築造されたことが明らかになっている。
永禄12年(1569)、信長による築城工事が始まった。尾張、美濃、伊勢、近江、伊賀、若狭、山城、丹波・丹後、摂津、河内、大和、和泉、播磨から武士が上洛して普請を担い、ルイス・フロイスは1万5千人から2万5千人が従事し、わずか70日で完成したと記している。石垣には石仏や石塔も石材として転用され、後世の発掘調査でも多数の転用石が確認された。
城内の建造物として、新造御所、御新造常常御所、南之矢蔵、坤角三重櫓、西之門矢蔵、南御門櫓、東之御門などが記録に残る。なかでも、坤角三重櫓は城内の西南角に位置した。また、石垣や複数の堀、櫓、門、橋を備え、東南と東側には出丸も設けられていた。
天正元年(1573)、義昭と信長の関係が悪化すると、フロイスは城について、三つの堀と新たな防御施設を備え、周囲の道が断たれていたと記録している。近年の発掘調査でも新たな堀が確認され、少なくとも最終段階には三重の構造をもっていた可能性が高くなっている。その後、義昭は槇島城に籠城して信長と戦い、京都を追われた。
旧二条城はその後、天正4年(1576)に廃城となった。同年の『言継卿記』には、安土城築城のため、旧二条城を解体して近江の安土へ運んだことが記されている。
旧二条城の特徴と構造
旧二条城は現在の京都御苑西側、当時の洛中上京地区に位置する。発掘調査では、北から出水通、下立売通、椹木町通、丸太町通付近で大規模な堀が確認されている。現地表面には明確な城郭遺構は確認できないものの、地下に堀や石垣などの遺構が残ることが判明している。
地下鉄烏丸線建設に伴う調査では4箇所の堀が検出され、北外堀・北内堀・南内堀・南外堀に相当するとされた。当初は内郭と外郭からなる二重構造と考えられていたが、その後の調査でさらに堀が確認され、少なくとも最終段階には三重の構造をもっていた可能性が高い。北内堀は幅約8.5m、南内堀は最大幅26.9mに達し、石垣の下部には不等沈下を防ぐ胴木が用いられていた。石垣には自然石のほか、石仏や供養碑、五輪碑、礎石などの石造物も転用されていた。
文献からは東南と東側に出丸があったことも分かり、西門・南門・東門は櫓と一体となった構造だった。発掘調査では鍵の手状に屈曲する堀や犬走りを伴う堀も確認されている。石垣の使用に加え、虎口を形成すると考えられる食い違いを備える点も、旧二条城を特徴づける構造となる。




旧二条城の整備状況
旧二条城跡は京都市街地に位置し、現在の地表には石垣や堀などの明確な城郭遺構は確認できない。昭和49年(1974)から昭和56年(1981)にかけて行われた地下鉄烏丸線建設に伴う発掘調査をはじめ、その後も各所で調査が行われ、地下に残る堀や石垣の確認が進められてきた。平成28年(2016)の調査でも2条の堀跡が検出されている。
発掘された石垣の一部は京都御苑と二条城内に復元されている。また、上京区下立売通室町西南角には、京都市が昭和45年(1970)3月に建立した「旧二条城跡」の石碑が設置されている。
旧二条城関係の石造物群
京都市洛西竹林公園には、旧二条城跡から出土した石造物群が展示されている。地下鉄烏丸線建設に先立つ昭和50年(1975)から昭和53年(1978)の発掘調査で確認されたもので、石仏や供養碑、五輪碑、礎石などが含まれ、主に石垣の石材として使用されていた。
これらは昭和58年(1983)6月1日に京都市指定有形文化財(考古資料)に指定された。城跡には明確な石垣や堀が地表に残っていないなか、旧二条城の石垣に使用された石造物を実際に見ることができる。
参考文献:
- 『日本城郭大系11』(新人物往来社)
- 「旧二条城跡」(京都府教育委員会)
- 「旧二条城跡」(京都市)
- 京都市文化財ブックス第31集『天下人の城』(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課)
- 現地説明板「京都の歴史遺産」(京都市洛西竹林公園)
旧二条城の撮影スポット・絶景ポイント
旧二条城で撮っておきたいのは、城跡碑、京都御苑に復元された石垣、二条城内に復元された石垣。さらに、京都市洛西竹林公園には、旧二条城の石垣に使われていた石仏や供養碑、五輪碑などの「旧二条城関係の石造物群」が移設展示されている。
二条城内の石垣は東向きのため、撮影するなら午前中がよい。城跡碑は北向きで、時間帯による光の変化は比較的少ない。京都御苑の石垣も東向きだが、背後に土塁や木々があるため、午前の順光にこだわる必要はない。周辺の歴史スポットである蛤御門は西向きなので、京都御苑の石垣とあわせて午後に巡ると撮影しやすい。
旧二条城跡周辺を巡るなら、午前に二条城内の石垣、午後に京都御苑の石垣と蛤御門を回る順序がおすすめ。洛西竹林公園まで足を延ばせば、旧二条城の石垣に実際に使われていた石造物も撮影できる。
旧二条城周辺の観光スポット・史跡めぐり
斯波氏武衛陣・足利義輝邸 遺址
室町幕府の管領を務めた斯波氏の屋敷「武衛陣」が置かれ、のちに第13代将軍・足利義輝の御所となった場所。永禄8年(1565)、義輝は三好義継らの軍勢に襲撃され、この御所で最期を迎えた。のちに織田信長は、義輝の御所跡と堀を利用して足利義昭のための旧二条城を築いている。旧二条城の成立を知るうえで、あわせて訪ねたい史跡。旧二条城石碑から室町通を南に1分(80m)下ると左手に石碑がある。
蛤御門
京都御苑西側にある門で、元治元年(1864)の禁門の変では、長州藩兵と会津・薩摩など幕府方の軍勢が激しく衝突した。現在も門には弾痕とされる痕跡が残り、幕末の京都を揺るがした戦いを今に伝える。旧二条城跡からも近く、京都御苑西側を歩くなら立ち寄りたい歴史スポット。
旧二条城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:京都府京都市上京区武衛陣町 [地図を見る]
県別一覧:[京都府の城]
電話:075-222-3130(京都市文化市民局 文化芸術都市推進室 文化財保護課)
- 旧二条城跡(公式ページ)(京都市公式 京都観光Navi)
アクセス
鉄道利用
京都市営地下鉄烏丸線「丸太町駅」下車、2番出口から徒歩約5分(約350m)。
マイカー利用
名神高速道路、京都南ICから約18分(約8km)。または第二京阪道路「鴨川西IC」から約15分(約5.9km)。京都御苑中立売駐車場(有料・131台)または、付近のコインパーキング利用。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
旧二条城:城ファンの知見と記録
旧二条城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全2件)。







戦国期の京都は上京と下京に分かれ、その間を室町通が結んでいました。旧二条城は、ちょうどその室町通沿いに築かれた城です。現在は平安女学院大学の角に城跡碑と説明板が立つだけですが、実際に周辺を歩いてみると、なぜこの場所に城が置かれたのかが少し見えてくるようでした。京都の街路と城の位置を重ねながら歩くのも面白いです。
記録:雨天出陣 2026
平安女学院大学の角にある旧二条城跡の碑を訪ねました。碑だけなら短時間で見学できますが、すぐ近くには斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址もあります。義輝の御所跡を利用して義昭のための城が築かれたという歴史を知ってから歩くと、この二つはぜひ一緒に見ておきたい場所だと思いました。
記録:城歩き父さん 2022