妙顕寺城は、羽柴秀吉が天正11年(1583)に京都で最初の居城として築いた城。二条通の南に位置し、堀や天守を備えていた。現在は市街地となったが、近年の発掘で池跡や外堀が確認されている。このページでは妙顕寺城の歴史や構造、発掘成果、アクセスを写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
妙顕寺城の歴史・見どころ
妙顕寺城の歴史
妙顕寺城(みょうけんじじょう)は、羽柴秀吉が京都における自らの拠点として、天正11年(1583)に築いた城だ。築城地には法華宗寺院の妙顕寺があり、秀吉は同年9月から普請を開始した。『兼見卿記』には「寺悉壊取」とあり、移築された可能性はあるものの、寺院の建物はほとんどが破却された。翌天正12年(1584)10月2日には秀吉が城に入っていることから、完成までに1年を要しなかったと考えられている。
城は二条通の南に位置し、当時の記録では「二条城」「二条之屋敷」と呼ばれた。通常は前田玄以の宿所として使用され、秀吉が在京する際には御座所となった。『宇野主水日記』天正13年(1585)7月6日条からは、堀や天守が存在したことも分かる。妙顕寺城は、秀吉が京都に築いた最初の居城として、その在京時の拠点となった。
その役割が終わる契機となったのが、新たな京都の拠点となる聚楽第の造営だった。天正15年(1587)9月、新造された聚楽第に秀吉が入城すると、妙顕寺城は使用されなくなった。同年11月晦日付けの上立売親九町所組所蔵『古書明細記』には、「二条妙顕寺の堀を埋めるよう」に秀吉政権側から命令が伝えられたことが記されており、この頃に城としての役目を終えたとみられる。築城から廃城まで、わずか4年ほどの短い歴史だった。
城の姿は長く不明な部分が多かったが、発掘調査によって少しずつその痕跡が確認されている。平成7年(1995)、平成27年(2015)には推定城域で試掘調査が行われ、その西側では桃山時代の長方形の落込3基を確認した。さらに令和6年(2024)には城の南東部と想定される地点から池跡とみられる遺構、令和8年(2026)には西辺にあたる地点から外堀が初めて確認された。文献史料によって知られてきた妙顕寺城は、近年の発掘によって、その具体的な姿を探る手がかりが増えつつある。
妙顕寺城の特徴と構造
妙顕寺城は二条通の南に位置し、城域を南北約250m、東西約120mとしている。文献史料から堀と天守が存在したことは分かるものの、城郭の具体的な縄張りや建物配置には不明な点が多く、京都市の調査でも詳細不明の城郭とされてきた。
推定城域では複数の試掘・発掘調査が行われている。平成7年(1995)の調査では、小川通の東道路境界から約12mの地点で幅約3m、深さ0.6mの南北溝を確認したが、遺物がなく年代は判明していない。一方、推定範囲の西側では桃山時代の長方形の落込3基が見つかっている。最も残りの良いものは東西11.5m以上、南北幅10m、深さ1.4mに及び、内部に水が溜まっていた。西の堀川方向へ延びることから、妙顕寺城へ資材を運び込む「舟入」の可能性が指摘されている。
発掘成果は近年さらに加わった。令和6年(2024)には、城の南東部と想定される地点から東西9.6m、南北2.5m、深さ0.6mの方形のくぼ地と、幅1.8m、深さ0.4mのL字状の溝跡を確認し、くぼ地は池の南端とみられている。令和8年(2026)には、西辺にあたる油小路通東側で、幅約5m、深さ約1.4mの外堀を約5mにわたって初めて確認した。堀は南北方向に延び、石垣の痕跡を伴わない素掘りだった。これらはいずれも地下から確認された遺構で、現在地表に残る城郭遺構ではない。
妙顕寺城の整備状況
妙顕寺城跡では、推定城域とその周辺で開発事業などに伴う試掘・発掘調査が重ねられている。平成7年(1995)、平成27年(2015)の試掘調査や推定範囲西側の発掘調査に続き、令和6年(2024)には城の南東部と想定される地点で池跡とみられる遺構などを確認した。
令和8年(2026)には推定城域西辺で外堀が初めて確認され、城の範囲や構造を検討する新たな成果が加わった。外堀の調査地点は発掘後に埋め戻されている。現在、城郭遺構を地表で見学できる状態ではないが、「古城町」の町名が残り、西福寺門前には妙顕寺城跡の案内が設けられている。
参考文献:
- 京都市文化財ブックス第31集『天下人の城』(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課)
- 「豊臣秀吉妙顕寺城跡」(京都市観光協会)
- 「天下取り歩む秀吉、京の拠点跡が初出土 妙顕寺城の遺構『二条大路ライン』に位置」(産経新聞)
- 「豊臣秀吉が京都で最初に築いた城は急造?素掘りの外堀跡が見つかる 本能寺の変の翌年で主導権争い中」(読売新聞)
妙顕寺城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
『天下人の城【改版】』
京都市文化財ブックス第31集(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課)に発掘成果とともに紹介されている。A4カラー114P、2,000円(税込)。京都駅ビル2階の京都総合観光案内所で販売されている。
妙顕寺城周辺の観光スポット・史跡めぐり
二条殿御池城跡・妙覚寺城跡
織田信長が妙覚寺を移転させ、その跡地に築いた城館跡。二条殿御池城跡・妙覚寺城跡はほぼ同じ地。妙顕寺城から東へ徒歩6分。「二条殿御池跡」石碑がある。
本能寺跡
天正10年(1582)の本能寺の変で織田信長が明智光秀の軍勢に襲われた当時の本能寺跡。現在の本能寺とは場所が異なる。妙顕寺城から南へ徒歩11分。石碑が「此附近 本能寺址」「本能寺跡」の2本ある。
聚楽第跡
天正15年(1587)に秀吉が妙顕寺城から移った新たな京都の拠点、聚楽第。妙顕寺城の役割を引き継ぐ存在としてあわせて訪れたい。
二条城
徳川家康が慶長8年(1603)に築いた二条城。妙顕寺城跡から近く、戦国から江戸時代へ移り変わる京都の城郭史をたどれる。
妙顕寺城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:京都府京都市中京区古城町376 [地図を見る]
県別一覧:[京都府の城]
- 豊臣秀吉妙顕寺城跡(公式ページ)(京都市)
アクセス
鉄道利用
京都市営地下鉄東西線「二条城前駅」下車、徒歩約3分。
マイカー利用
名神高速道路「京都南IC」から約22分(約7.5km)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
妙顕寺城でのひとときを、そっと記録に残す






