長浜城の歴史・見どころ

長浜城の歴史

長浜城は、高知市長浜の雪蹊寺背後の山に築かれた山城。本山茂辰の支配下に置かれ、その家臣・大窪美作守が城主を務めた。永禄年間(1558〜1570)頃、長宗我部国親の種崎城に対し、本山氏は長浜城と浦戸城で対抗していた。

両者の対立が続くなか、国親が種崎城へ送った兵糧を本山氏の兵が奪う事件が起こる。これを受けて国親は長浜城の攻略に動いた。永禄3年(1560)5月26日の雨風が激しい夜、種崎から海を渡って御畳瀬(みませ)に上陸し、長浜城を奇襲して攻略したという。

長浜城を奪われた城主は本山茂辰に急を告げ、本山氏は城を奪還するため軍勢を長浜へ進めた。これを迎え撃った長宗我部軍と本山軍が戸ノ本で激突し、戸ノ本の戦いが起こった。この戦いには国親の子・長宗我部元親も参加し、これが元親の初陣となった。元親は大きな戦功を挙げ、その武名を敵味方に知らしめたと伝わる。

長浜城の特徴と構造

長浜城は、高知市長浜の雪蹊寺と秦神社背後の山に位置する山城で、城域は約400m×500m。東西に二つの峰があり、東峰の標高57.6m付近に約400㎡、西峰の標高66.8m付近に約600㎡の平坦部が残る。さらに北面の標高59.7m付近にも、細長い約400㎡の平坦部が確認されている。

『土佐国古城略史』には、西側を「大台」、東側を「小台」と呼び、両者の間に低地があったことが記される。その北側にも平坦地があり、さらに東西の山が迫る場所では山角が枡形をなし、古い城門が置かれた場所と推測されている。ただし、『日本城郭大系』では、東西の峰や北面に残る平坦部が具体的にどのような遺構にあたるのか、確認は困難としている。また、現地解説板では秦神社と雪蹊寺の背後一帯を長浜城址としている。

秦神社

長浜城と秦神社長浜城跡の山麓に鎮座し、長宗我部元親の嫡男・信親を祀る神社。天正14年(1586)の戸次川の戦いで戦死した信親を弔うため、元親が建立した寺院を前身とし、明治時代に秦神社となった。社殿の背後一帯が長浜城跡にあたり、城の位置を知るうえでも重要な場所となる。

長宗我部信親墓所(雪蹊寺)

長宗我部信親墓所(雪蹊寺)長浜城跡の山麓にある雪蹊寺には、長宗我部元親の嫡男・信親の墓所が残る。信親は天正14年(1586)の戸次川の戦いで戦死し、その死は元親にも大きな影響を与えたと伝わる。戸次川戦没者供養塔も建つ。

長浜城の整備状況

長浜城跡には、高知市教育委員会による解説板が設けられ、城の歴史や竪堀跡が紹介されている。一方、城跡は樹木に覆われており、現地解説板でも2か所の竪堀跡は風化や樹木によって容易に確認できないとしている。

参考文献:

  • 『日本城郭大系15』(新人物往来社)
  • 「長浜城」(高知市)
  • 現地解説板「長浜城址」(高知市教育委員会)
  • 現地解説板「戸ノ本古戦場」(高知市教育委員会)

長浜城周辺の観光スポット・史跡めぐり

長宗我部元親初陣の銅像

長宗我部元親初陣の銅像長浜城をめぐる戦いとあわせて訪ねたい、若き長宗我部元親の銅像。永禄3年(1560)、長浜城を攻略した長宗我部軍と、奪還を図る本山軍が戸ノ本で激突し、この戦いが元親の初陣となった。槍を手にした姿で表され、長浜城から戸ノ本の戦いへと続く歴史をたどる起点となる。

戸ノ本古戦場跡

戸ノ本古戦場跡長浜城を奪還しようとする本山軍と長宗我部軍が激突した戸ノ本の戦いの古戦場。永禄3年(1560)、長浜城を攻略された本山氏が軍勢を進め、これを長宗我部軍が迎え撃った。この戦いには長宗我部元親も参加し、初陣を飾ったと伝わる。長浜城の攻防を現地でたどるなら、城跡とあわせて訪ねたい場所。

長浜城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:高知県高知市長浜 [地図を見る]

県別一覧:[高知県の城]

電話088-803-4319(高知市観光魅力創造課)

アクセス

鉄道利用

JR土讃線「高知駅」から、とさでん交通バス桂浜方面行き「長浜」下車、徒歩約3分で雪蹊寺。長浜城跡は雪蹊寺・秦神社背後の山に位置する。

マイカー利用

高知自動車道「高知IC」から雪蹊寺まで約30分。雪蹊寺に有料駐車場あり(10台・志納制)。

地図