写真:岡 泰行

韮山城の歴史と見どころ

韮山城(にらやまじょう)は、戦国時代に北条早雲(伊勢宗瑞)が築城し、その拠点として重要な役割を果たした。戦略的要衝として機能した歴史がある城だ。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで3ヶ月の籠城戦に耐え開城となった後、廃城となる。その歴史と特徴を紐解いてみよう。

韮山城の歴史

韮山城(にらやまじょう)は、戦国時代に北条早雲(伊勢宗瑞)が築いたことで知られる。後北条氏五代百年の歴史の始まりと終わりに重要な役目を果たした。

明応2年(1493)、北条早雲が伊豆に侵攻し、堀越御所の足利茶々丸を攻め、伊豆本土を平定し韮山城を築いた。早雲は相模へ侵攻し大森氏の小田原城を手に入れた後も、生涯にわたってここ韮山城を居城とし、永正16年(1519)、88歳で没した。それから約70年後、豊臣秀吉との対立が明確になる中、天正13年(1585)から韮山城の普請が盛んに行われ、天正18年(1590)五代、北条氏直(うじなお)のとき、豊臣秀吉の小田原征伐が始まった。韮山城は、山中城とともに後北条氏の前線基地として、四代氏政の弟、北条氏規(うじのり)を大将に籠城する。4万4千の軍勢に囲まれるも、城兵3600余で3ヶ月の籠城に耐え抜き、勇猛果敢に城を守り抜いた。その間に関東の諸城がことごとく豊臣方へ落ち、氏規は家康と黒田官兵衛の説得を受け、韮山城を開城し投降した。

後北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣、内藤信成が伊豆国1万石を与えられて韮山城の城主となる。関ヶ原の戦いの翌年、信成は駿府城へ転封となり、韮山城は廃城となった。余談ながら、小田原征伐で城を守った北条氏規は、後に秀吉から許され、河内国内で6900石で狭山城(狭山陣屋)主となっている。

参考文献:『日本城郭大系9』(新人物往来社)、探訪ブックス『日本の城4』東海の城(小学館)、現地解説板、伊豆の国市韮山城WebSite

韮山城の特徴と構造

伊豆半島北部にある龍城山に築かれた韮山城は、標高は50m足らず、東西100〜150m、南北400mほどの城域で、ふたつの空掘で守られた平山城だ。細い尾根上に北から、三ノ丸、権現曲輪、二ノ丸、本丸、伝塩蔵と5つの曲輪が設けれている。各曲輪はその一部で土塁が巻かれている。中でも伝塩蔵の土塁が高い。

韮山城本丸土橋
本丸土橋

韮山城本丸虎口
本丸虎口

韮山城権現曲輪跡
権現曲輪跡

韮山城塩蔵跡
高い土塁が残り倉庫跡とされる伝塩蔵跡

御座敷(韮山高校)平時の居館があったと想像されている平地には「御座敷」の字名が残り、現在は県立韮山高等学校となっている。

韮山城は西に狩野川、東に大きな城池があり城を守っている。この池を挟んで東の山には江川砦、南の高い場所に天ヶ岳砦、そこから放射状に土手和田砦、和田島砦、岩戸山砦が城塞群として配されていた。天ヶ岳砦は見張りの砦、土手和田砦と和田島砦に武士団を配したと伝わっている。

韮山城の関連書籍

韮山郷土史料館には韮山城の復元模型と出土品が展示されている。

韮山城の散策コース

韮山城は散策自由。散策がしやすく整備されている。韮山城の支城や付城の分布図は、伊豆の国市のWebサイトでPDFにて閲覧できる。書籍では『韮山町史』第三巻に掲載されている。韮山城を支える砦群は、天ヶ岳砦を中心に、南北1,100m、東西700mに分布している。天ヶ岳砦、江川砦、土手和田砦、和田島砦、岩戸山砦がある。

※現在、伊豆の国市によると、土手和田遺構群、天ヶ岳遺構群や、豊臣方の太閤陣場付城跡・本立寺付城跡・追越山付城跡・上山田付城跡・昌渓院付城跡は、私有地につき立ち入り禁止となっている。

韮山城の関連史跡

韮山城に足を運んだあとは、次の3箇所は訪れておきたい。いずれも韮山の印象を決定づけるスポットだ。

源頼朝配流の地である「蛭ヶ島」

蛭ヶ島蛭ヶ島の公園内には、蛭島碑記や源頼朝と北条政子の銅像がある。源頼朝の配流は、永暦元年(1160)に14才から約20年に及んだが、当時の住宅跡などは分かっていない。北条政子と結ばれたのは治承元年(1177)頃とされ、妻である政子の父、北条時政の館に移住し挙兵の準備を整えたらしい。また、公園内には古民家である、歴史民俗資料館・旧上野家住宅が移築保存されている。

重要文化財「江川家住宅」(旧韮山代官所跡)

江川家住宅江川家は、初代は大和源氏の祖とされる源頼親というから、その歴史は1,000年ほどとなる。韮山に移住したのは9代からとされ、23代の頃、北条早雲の家臣となった。枡形の門を持ち、広大な敷地内に主屋をはじめ、書院や蔵、武器庫などがある。

韮山反射炉

韮山反射炉韮山反射炉(にらやまはんしゃろ)は、江戸時代末期に西洋砲術師南役だった江川担庵が進言し、幕府が大砲鋳造のために造営した鉄製大砲鋳造用の高炉で、日本で現存する反射炉。技術的な進歩や幕末の軍備強化の歴史を体感できるのが魅力。平成27年(2015)、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界文化遺産に登録されている。

韮山城のアクセス・所在地

所在地

住所:静岡県伊豆の国市韮山韮山 [MAP] 県別一覧[静岡県]

電話:055-948-1428(伊豆の国市文化財課)

アクセス

鉄道利用

JR東海道線、三島駅から乗り換え、伊豆箱根鉄道駿豆線、韮山駅下車、東へ徒歩約20分。

マイカー利用

伊豆中央道、長岡北ICから東へ約11分(5.7km)。城池の東にある江川邸の駐車場有り。また、城池のすぐ北側にも無料駐車場がある。または、伊豆スカイライン、韮山峠ICから西へ約19分(11.6km)。

城ファンの気になるところ (4)

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    韮山城は北条早雲の本拠地。北条氏規が城主の時、豊臣方4万4千に攻められ、3ヶ月間持ちこたえ開城。平山城で3の郭、権現郭、2の郭、本郭、南郭、が残っている。公園化される前には、虎口も確認できた。

    ( 田村靖典)さんより

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    平山城である韮山城。北条早雲の拠点とイメージすれば、なんとも小規模にも思えてしまいますが、付近の山には、砦が多数配置されていたそうです。中でも、城池の周囲を取り囲むように配置された天ケ岳砦と和田島砦は圧巻の規模です。上ると韮山城の本丸が手に取るように見えます。江川砦、天ヶ岳砦、和田島砦、土手和田砦、岩戸山砦をすべて見ようと思うと4時間ほどかかります。

    ( 韮山城陣城サイコー)さんより

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    韮山高校で、発掘調査により韮山城の外堀遺構が見つかったそうな。障子堀ほか遺構多数とのこと。

    ( 半兵衛)さんより

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    天保13年(1842)、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍が軍用の兵糧としてパンを作った。4月12日はこのパンの日だそう。韮山小学校では給食でパンが2本でるらしい。

    ( shirofan)さんより

城の情報

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