写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
賤機山城の歴史と見どころ
浅間神社の資料館。1987年当時は20円でした。
(なか 02.06.17)
賤機山城の周辺史跡を訪ねて
賤機山城のアクセス・所在地
【監修者プロフィール】
岡 泰行 | 城郭カメラマン [プロフィール]
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
1996年よりWebサイト「お城めぐりFAN」を運営し、日本の城郭をめぐる旅をライフワークとする。長年にわたる豊富な経験と、城郭写真家としての専門的な視点から、当サイトの記事を監修。その写真と知見は、数々の書籍やメディアでも高く評価されている。
賤機山城:城ファンたちの記憶
実際に賤機山城を訪れた城ファンの皆さまが綴る、印象に残った景色、人との出会い、歴史メモ、旅のハプニングなど、心に残る旅の記憶を共有しています(全5件)。

山の中腹には賎機山古墳もある。浅間神社の交番の裏側の上り口から登りだすとアクセスも早い。材木町・籠上(賎機山の西側)からも登ろうと思えば登れる。材木町は吉屋酒造の裏辺りは、町の中で山城の雰囲気が味わえる。籠上あたりは、静鉄バスの安部線「妙見下」(みょうけんした)で降りて、坂を登ってみましょう。臨済寺裏からのコースは、地元では「地獄谷」と呼ぶほどきついコースです。
( なか)
今川範政の時、駿府城の詰めの城として築城。今川氏滅亡後、武田氏の持ち城になる。徳川時代には、戦略的意味がなくなり自然廃城。
( 田村靖典)
臨済寺の横のみかん畑から登ること15分で鞍部に達する。少し南にゆくと、北の出丸、2の丸、掘切りを経て、本丸にたどり着く。ここに石碑ある。さらに南に行くと、空掘、郭が2つある。
( 田村靖典)
賤機山の長く長く延びた尾根に展開されているのですが、あまりに長いので、「守りにくそ~だ」と思ってしまいました。実は、当時、長く延びた尾根の両側には、川があったのです!現在の安部川は人工的に流れを変えられています。浅畑沼から延びる「北川」と「旧安部川」ですっぽり尾根が囲われて外堀の役割を果たしていたとのこと。
( 半兵衛)
浅間神社からは、ハイキングコースのようで地元の方と遭遇。「ホントは朝5時と6時に山頂で体操があるのです」と、すっかり地元にとけ込んだお城で街灯らしきものもあるとのことで、夜でも登れるのだそうです。
( 半兵衛)