写真・監修:岡 泰行/城郭カメラマン
墨俣城の歴史と見どころ
墨俣城(すのまたじょう)は、戦国時代に尾張と美濃の境、木曽川沿いに築かれた城として知られている。最も著名なのは、永禄年間(1558〜1570)に織田信長が美濃攻略の拠点とした「墨俣一夜城」の伝説だ。築城を任されたのは、若き日の木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)であり、一夜にして砦を築いたという逸話は、出世物語として今なお語り継がれている。実際には、舟による部材の事前搬入と迅速な築造があったと考えられる。この地は美濃・斎藤氏との攻防の最前線に位置し、信長の戦略における重要な一歩となった。現在は模擬天守が建ち、城址公園として整備されており、秀吉ゆかりの地として親しまれている。
墨俣城の想像模型
秀吉が築いた頃の墨俣城の様子を知るには、清洲城にある墨俣城の縄張りの想像模型を見ておくと良い。
墨俣城の撮影スポット
長良川側から天守を望むと良い。電線が邪魔するのでアングルには気をつけて。
墨俣城の写真集
城郭カメラマン撮影の写真で探る墨俣城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。墨俣城周辺の史跡を訪ねて
墨俣城のアクセス・所在地
所在地
住所:岐阜県大垣市墨俣町墨俣1742 [MAP] 県別一覧[岐阜県]
電話:0584-62-3322 墨俣一夜城(大垣市墨俣歴史資料館)
- 墨俣一夜城公式サイト(大垣市墨俣歴史資料館)
アクセス
鉄道利用
JR東海道本線、穂積駅下車、タクシー5分。または、JR大垣駅下車、バス「墨俣」降車、徒歩10分。
マイカー利用
名神高速岐阜羽島ICより10分。川の土手に駐車スペース若干有り。
※本記事は城郭カメラマン岡 泰行(プロフィール)監修のもと編集部にて構成しました。
墨俣城に寄せて
これまでに届いた声:全3件

秀吉の出世の糸口と言われ、信長公記にも書かれている墨俣城(一夜城)。勿論当時は砦のようなもので、天守閣なんてなかったけど、現在は立派な天守閣が建ってます。又天守閣から見る岐阜城。大垣方面。濃尾平野と、何故信長がここに築城をこだわったのかよく分かるロケーションにこの城は建っています。
( 愚禿2)さんより
脇に流れ込む犀川には桜並木があり、春は花見の名所です。
( をぐに)さんより
墨俣一夜城に架空説があることは忘れてはならないでしょう。「信長公記」には墨俣の地名が別件で出てくるのみ。秀吉の事跡を書いた「たいこうさまぐんきのうち」にも登場しません。脚色のため信頼度が怪しいとされる「信長記」「太閤記」にも登場しません。唯一「吉田家文書」(前野家文書ともいいます、「武功夜話」など)に出てきますが、肝心の一夜城関連の部分は偽書説があります。明確な初出は、さらに脚色が増えた18世紀末の「絵本太閤記」だったかと。
( をぐに)さんより