- この地は古くから北陸と京都を結ぶ最短距離であり、湖と山は平野くぎり街道を遮断していることから戦略上の要所であることがわかる。遺構は天守台石垣が残るのみである。
[半兵衛 (1996.05.13)]
- 大溝城の詳細は明らかではないが、「織田城郭絵図面」によると本丸は堀で囲まれており、堀にそって侍町通りがめぐっている。
その通り沿いには信澄の家臣と思われる21の性が記されており、その中には近江の佐々木氏の同族の高島郡を治めていた"高島七頭"のうちの2人、朽木氏や永田氏の名もある。
[半兵衛 (1996.05.13)]
- 本丸跡から安土城と同じ軒丸瓦1類・軒丸瓦2類・丸瓦が出土。(高島町教育委員会 s58)
[光秀 (1996.05.13)]
- 壬申の乱(672)に落城した三尾城が背後の三尾山山中にあったという。(「日本書記」天武紀)
[光秀 (1996.05.13)]
- 近江高島駅から、駅前の通りを南下すると最初の三叉路の交差点の右側に、三の丸跡を示す石碑がある。
[半兵衛 (1996.05.13)]
- 資料:近江高島駅の観光案内所に、「織田信澄と大溝城」というB5見開きの小冊子がある。必見!
[光秀 (1996.05.13)]
- 交通:[鉄道] JR湖西線、近江高島駅下車、徒歩15分。駅からでも下調べゼロだと間違いなくたどり着けない。駅の観光案内所で聞くべし。ちなみに、郡立高島病院(駅前)の駐車場を抜けるか、旅館川口家のある交差点を右に20mほど歩いたとこの右の小道にはいるかである。
[半兵衛 (2000.04.19)]
- 歴史スポット:城下町かな。といっても、ごく一部の道路の中心に細い水路がある、という風情である。あとは発掘された軒瓦がある高島町歴史民族資料館。近くにある四十八体石仏群は天文22年(1553)に六角承禎が亡母呉服御前のために石仏48体を建立。13体は坂本の慈眼大師廟に移されたといい、35体が現存する。
[光秀 (1996.05.13)]
|