大阪城の特別公開エキスパートガイド

乾櫓 大阪城の特別公開の見どころ

大阪城西外堀から見る乾櫓
大阪城西の丸城内側から見る乾櫓
写真(上):西外堀から見る乾櫓。写真(下):西の丸城内側から見る乾櫓。

乾櫓とは 230度の広い視野

乾櫓(いぬいやぐら)のネーミングは、西北を指す「乾(いぬい)」から。大阪城西の丸(二の丸)の西北に位置し、櫓の西側と北側が西外堀に面している。乾櫓から城外を望むエリアは広大で、大手口から京橋口までおよそ230度の広い視野を持つ。大棟の瓦に「元和六年申ノ九月吉日 ふかくさ作十郎」とへら書きで記されていたことから、千貫櫓と当時期の元和6年(1620)に造られたことが分かっている(築造当時の乾櫓の鯱は大阪城天守閣に保存されている)。櫓の工事責任者は小堀遠州。江戸末期に沈下を矯正する補修がなされたが、この時、未補修の柱が3本のみで、逆に言うとほとんどの柱を根接ぎしたりと大きな補修だったようだ。その後、明治期にも旧陸軍によって改編され、昭和20年(1945)8月、第二次大戦時の空襲では爆弾が乾櫓北側の水掘に落ち、石落としが吹き飛ぶなどの被害を受けた。昭和31年(1956)から始まった解体修理で、乾櫓は本来の姿にと大々的に修理され、現在、見られる姿となった。千貫櫓と同じく昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されている。

乾櫓の見どころ

乾櫓は、石垣の高さは水面から約18m、建物の高さは約10.3mとなる。L字型の総2階造り、1階と2階の平面がいずれも186.23平方メートルと同じ広さで城の櫓としては、非常に珍しいかたちをしている(逓減がない)。

内部は1階2階ともに同区画。通し柱で造られており、間取は内室が3室でその城外側を幅一間の武者走りが巻くという形だ。窓は26箇所、隠し狭間が16門、石落としが4箇所城外側のみ設けられている。入口はL時型の両端、東側と南側に、それぞれ1箇所ずつある。扉は千貫櫓同様に土戸で内側には片引の板戸が昭和の修理時に復元されている。また、東側入母屋破風内にある妻戸も、その痕跡が認められたため復元されている。筆者の記憶では、2006年4月、2011年11月、2015年9月の三度、特別公開されたことがある。また、2024年GWには9年ぶりに特別公開されることとなった。

乾櫓1階

大阪城乾櫓1階内部
写真は乾櫓1階内室の風景。L字の頂点である西北から南東方向を望む。内室は1階、2階ともに3室あり、左右両側の内室に2階への階段が設けられているのが分かる。階段に手摺りが見られるが、片側にその痕跡があったため復元されている。写真中央は照明が設置されているため美しく明るい。

大阪城乾櫓の武者走り
城外側に設けられた武者走り。左手には出張があり、下部に石落としの蓋が見える。右手は内室でその板戸は昭和の修理時に復元された。また、床板には釿(ちょうな)痕が見られる。修理工事報告書によると、補強のため、壁内部に筋交の鉄筋と、武者走りと内室の境目(床下)に鉄筋コンクリートの基礎が設けられた。

大阪城乾櫓の武者走り

写真右手を見てほしい。千貫櫓と同様に、城外側のみ頭の高さまで身を守る厚嵌板が設置されている(頭高厚横嵌板張)。窓があるところは腰の高さまで厚嵌板があるのが分かる。また、武者走りの上部に注目してほしい。修理工事報告書によると腕木の変形が生じたため下に肘木を添えて重さを支えているそうだ。

大阪城乾櫓1階内室に残る釿痕
乾櫓1階内室に残る釿(ちょうな)痕。

大阪城乾櫓の修理時のパーツ
乾櫓の修理時に交換された、鯱や瓦、懸魚などが保管されている。

大阪城乾櫓の隠し狭間
乾櫓の隠し狭間。戦闘時は内側から突き破って使用する。乾櫓内で16門設置されている。

乾櫓2階

乾櫓2階の風景。2階は2006年4月一度きりの特別公開だった。この時の照明は、どなたが発案したのか存じ上げないが、鋭利な釿(ちょうな)痕をありありと浮かび上がらせる演出が、何を見るべきか明確でとても良かった。

大阪城乾櫓2階の風景
大阪城乾櫓2階の風景
大阪城乾櫓2階床板に残る釿(ちょうな)痕
2階の釿(ちょうな)痕が最も鋭利だ。ここで見られる釿痕は千貫櫓などに残る磨り減ったものと異なり、誰も足を踏み入れてない、言うなれば原型と言っていい(2階は特別公開時に必ず公開されるという訳ではない)。

乾櫓の石垣、晴れがましき所

外の石垣にも注目したい。『天下統一の城・大坂城』(中村博司著)によると、天下普請の際、乾櫓付近の二の丸石垣を担当したのは細川忠興で、どうやら「はれかましき所」を希望したようだ。徳川大坂城の多くの石材が近畿地方から運ばれる中、石垣の算木積み部分で使用する花崗岩の石材5個「大角五つ」が、細川家の小倉領内の沓尾から運ばれているのが興味深い。2006年の大阪産業大学の協力・調査で乾櫓の隅部、上から、4、5、7、8、9番目の石垣石がその石だと判明したのだとか。

乾櫓石垣、細川家の小倉領内の沓尾から運ばれた隅石
これらは北村美穂さんにも詳しくご教示いただいた。石はそれぞれ長さ1mほどで重さは6〜7トンあるらしい。写真を見ると他と石の色が異なるのが分かる。

大阪城の閉塞石垣
これは森 毅さんにご教示いただいたが、乾櫓の付近から北(追手門学院)を望むと、築城時に水を抜いたとされる溝の閉塞石垣を見ることができる。合わせて見ておこう。

國民會館武藤記念ホールから大阪城天守閣と乾櫓
さて最後に1枚。國民會館武藤記念ホールから、手前に乾櫓、奥に大阪城天守閣。大阪城を代表する新旧の櫓が並んで見られる(國民會館武藤記念ホールは普段は開放されていないため入ることはできない)。

(文・写真=岡 泰行)

参考文献:
『重要文化財 大阪城 千貫櫓・焔硝櫓・金蔵修理工事報告書 附 乾櫓』(大阪市)
『大坂城全史』(中村博司 著・ちくま新書)
『天下統一の城・大坂城』(中村博司著・新泉社)
『日本名城集成 大坂城』(小学館)

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