鞆城の歴史・見どころ

鞆城の歴史

鞆城(ともじょう)は、瀬戸内海の中央に位置し、古くから潮待ちの港として栄えた鞆の浦を見下ろす丘陵に築かれた城。鞆は瀬戸内海の海上交通を押さえる要衝でもあり、南北朝時代には鞆港を東側から囲む大可島に大可島城が築かれ、港をめぐる攻防の拠点となった。それから約200年を経た戦国時代、毛利氏の命を受けた山田郷の渡辺氏が天文22年(1553)、この地に鞆城の前身となる鞆要害を築いたとされる。

鞆城の歴史で大きな転機となったのが、室町幕府最後の将軍・足利義昭の鞆入りだった。京都を追われた義昭は毛利氏を頼り、天正4年(1576)に鞆へ迎えられた。当初は足利尊氏ゆかりの小松寺などに一時滞在したと考えられ、その後、毛利氏によって鞆城に居館が設けられたとみられる。毛利輝元の庇護を受けた義昭は鞆を拠点として活動し、「鞆幕府」と呼ばれる政治的な拠点を構えた。

義昭は天正10年(1582)には福山市津之郷の藁江居館に移り、その後も政治活動を続け、天正15年(1587)には九州へ向かう豊臣秀吉と備後で対面した。その後、義昭は京都へ戻り、長く続いた備後での滞在を終えた。

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦い後に安芸・備後の領主となった福島正則は鞆城を修築し、重臣の大崎玄蕃を配置した。三層の天守を築き、梯郭式の城郭へ整えたとされる。慶長12年(1607)に鞆を訪れた朝鮮通信使の日記には、岸上に新しい石城が築かれ、まだ完成していなかったことが記されている。この時点でも城郭の整備は続いていたが、鞆城はそのわずか2年後の慶長14年(1609)に廃城となった。

その後、元和元年(1615)の一国一城令によって主要な建造物が取り壊された。福島氏に代わって元和5年(1619)に水野勝成が入封すると、長子・勝俊の居館が三の丸に置かれた。勝俊が福山藩主となった後は町奉行所が置かれ、明治維新まで鞆の管理を担う場所として利用された。

鞆城の特徴と構造

鞆城は、鞆の市街地中央に位置する標高24mの独立丘陵と、その西側山麓を利用した城。港を見下ろす立地を取り、城域は本丸・二の丸・三の丸から構成され、福島氏の修築によって梯郭式の城郭に整えられた。かつては東端を福禅寺、北端を沼名前神社参道、南側を港とする範囲に二の丸・三の丸が築かれていた。

本丸は東西約70m、南北約40mの台地状をなし、東西に一辺約15mの張り出しを持つ。周囲には石垣が築かれ、とくに大手と考えられる東側入口には整った石垣があった。

二の丸は本丸西側に隣接し、本丸より約8m低い位置に設けられた長さ約70mの曲輪で、本丸周囲を巡る帯曲輪状の構成を取る。三の丸はさらに低い位置に置かれ、二の丸との間を三段の曲輪が結んでいた。

現在、本丸東南隅には石垣の一部が復元整備され、本丸跡にはかつて城郭に用いられた石垣石が置かれている。これらには「大」「回」「△」「①」などの刻印を確認できる。城山西麓の阿弥陀寺では土塀の石垣に鞆城の石垣石が使われ、矢穴列痕や刻印が残る。また、城山東側の福禅寺にも鞆城の石垣が残り、刻印を確認できる。

鞆城 本丸東南隅石垣
昭和61年(1986)の発掘調査で石垣の基底部が確認され、福山市鞆の浦歴史民俗資料館の建設に伴って復元整備された本丸東南隅の石垣。
鞆城 本丸跡
鞆城の本丸跡。東西約70m、南北約40mの規模を持ち、東西には一辺約15mの張り出しが設けられていた。
鞆城 本丸跡に残る石垣石と刻印
本丸跡に残る石垣石。「井」「①」のほか、「回」「大」「△」などの刻印が確認でき、鞆城の石垣に残された特徴のひとつとなっている。
福禅寺に残る鞆城石垣
鞆城の東端ともいわれる福禅寺には、南面石垣に「△」や「大」などの刻印が残る。
阿弥陀寺の鞆城石刻印
鞆城の西麓にある阿弥陀寺の土塀石垣には、「回」などの刻印が残る。
鞆の浦の全景
朝陽の展望台から望む鞆の浦。瀬戸内海の中央に位置し、古くから潮待ちの港として栄えた港町の町並みと海が広がる。

鞆城の整備状況

鞆城跡は昭和51年(1976)7月13日に福山市史跡に指定された。現在は本丸石垣の一部が復元整備され、二の丸は公園として整備されている。城山南麓では三の丸跡の石垣が道路脇に復元されているが、城域の大部分は住宅地となっている。本丸跡の高台には福山市鞆の浦歴史民俗資料館が建ち、鞆の古代から近世に至る歴史資料や民俗資料を展示している。城跡からは鞆港や周辺の島々を一望できる。

参考文献:

  • 『日本城郭大系13』(新人物往来社)
  • 現地案内板「鞆城跡」(福山市)
  • 「鞆城跡」(ふくやま文化財ナビ・福山市)
  • 「鞆の浦歴史民俗資料館」(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)
  • 現地案内板「小松寺略記」(小松寺)
  • 『津之郷学区まちづくり計画』(津之郷学区まちづくり推進委員会)

鞆城の撮影スポット・絶景ポイント

300年以上前、朝鮮通信使を魅了した景観が、今も鞆の浦に残っている。福禅寺の客殿「対潮楼(たいちょうろう)」から望む、弁天島と仙酔島を浮かべた瀬戸内海の眺めだ。正徳元年(1711)に鞆を訪れた朝鮮通信使の従事官・李邦彦(イ・バンオン)は、この景観を「日東第一形勝」と賞賛し、その書を残した。さらに延享5年(1748)には、正使・洪啓禧(ホン・ゲヒ)が客殿を「対潮楼」と名付けている。

鞆の浦 対潮楼からの眺め
座敷に腰を下ろし、開け放たれた窓の向こうに海を望むと、300年以上前の使節を魅了した景観が今も目の前に広がる。鞆城そのものを写す場所ではないが、鞆の浦を訪れたなら、ぜひ立ち寄ってカメラを向けたい場所。

対潮楼を出たあとも、鞆の浦には撮り歩きたい風景が続く。重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並みには、古い町家が連なり、その間を縫うように細い路地が延びる。常夜燈などの名所だけでなく、路地へ入り、曲がり角の先に現れる町家や石垣、坂道にも目を向けたい。鞆の浦は、歩くほどに港町の風景と出会える撮影地だ。

鞆城の写真(城写真ARCHIVE)

城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、鞆城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。

鞆城周辺の観光スポット・史跡めぐり

足利義昭の仮御所・小松寺

足利義昭の仮御所・小松寺京都を追われ、毛利氏を頼って鞆へ入った室町幕府第15代将軍・足利義昭が、一時滞在したと考えられている寺院。のちに毛利氏によって鞆城に居館が設けられたとみられ、鞆における義昭の足跡をたどるうえで欠かせない場所。

山中鹿介の首塚

山中鹿介の首塚尼子氏再興に奔走した山中鹿介(幸盛)の首塚。天正6年(1578)、上月城の戦いで毛利方に降伏した鹿介は、護送途中の備中国・阿井の渡で殺害された。その首は鞆へ送られ、毛利氏の庇護を受けて鞆に滞在していた室町幕府第15代将軍・足利義昭が首実検したと伝わる。鹿介の首はその後この地に葬られたとされ、鞆に義昭が滞在していた時代を伝える史跡のひとつとなっている。静観寺の山門前にある。

伏見城遺構・沼名前神社能舞台

伏見城遺構・沼名前神社能舞台沼名前神社に残る国指定重要文化財の能舞台。豊臣秀吉が愛用し、伏見城内にあったものと伝わる。初代福山藩主・水野勝成が二代将軍徳川秀忠から譲り受け、三代・水野勝貞が沼名前神社へ寄進。元文3年(1738)に現在地へ移された。各部材に番号や符号を付けて組み立てる構造を持ち、正面の鏡板には松と竹を描く。桃山時代の能舞台の特徴を伝える貴重な建築で、桁行5.45m、梁間5.33m、一重切妻造、こけら葺。

福山城の移築長屋門

福山城の移築長屋門岡本家に残る福山市指定重要文化財の長屋門。もとは福山城内にあった建物で、明治6年(1873)の廃城後、民間へ払い下げられた建物の一部を岡本家が譲り受け、船で鞆へ移築したと伝わる。現在は片側の番所が失われているものの、門扉や門構えなどに城内の長屋門としての形式をよく残す。桁行17.15m、梁間5.27m、建築面積90㎡、入母屋造、本瓦葺。

鞆の浦の町並

鞆の浦の町並鞆の浦には、江戸時代から近代にかけて港町として発展した町並が残り、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。町家や商家、土蔵などの歴史的建造物が細い路地に沿って連なり、蔵の壁には船板を再利用したものも見られる。港を中心に形成された町の姿を現在まで伝え、潮待ちの港として栄えた鞆の歴史を町歩きのなかで感じられる。

常夜燈と雁木

常夜燈と雁木鞆港を象徴する常夜燈と、その周囲に残る雁木。雁木は潮の干満に応じて船を着けられるよう、岸辺を階段状に築いた船着き場で、満潮時には上段、潮が引くにつれて下段を利用する。鞆港では半円形の港に沿って雁木がほぼ連続して巡り、その規模は全国的にも類を見ない。上段付近には船をつなぐ円筒状や角柱状の船繋石も並び、潮待ちの港として栄えた鞆の姿を今に伝えている。

いろは丸展示館

いろは丸展示館坂本龍馬率いる海援隊が伊予大洲藩から借用し、慶応3年(1867)に鞆沖で沈没した「いろは丸」を紹介する展示施設。海底調査で引き揚げられた遺品をはじめ、沈没状況を示すジオラマ、調査風景の写真などが展示されている。建物そのものも見どころで、鞆で「大蔵」と呼ばれる江戸時代の浜蔵を利用。太い梁を残す大型の土蔵からも、港町として栄えた鞆の歴史を感じられる。

鞆城アクセス・駐車場・営業時間

所在地

住所:広島県福山市鞆町7536-1 [地図を見る]

県別一覧:[広島県の城]

電話:084-982-1121(福山市鞆の浦歴史民俗資料館)

開館情報

福山市鞆の浦歴史民俗資料館は9:00〜17:00(入館は16:30まで)。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)、12月28日〜1月3日。入館料は一般150円、高校生以下無料、20名以上の団体は1人120円。

アクセス

鉄道利用

JR山陽本線・山陽新幹線「福山駅」下車、鞆鉄バス「鞆港」行き約30分、「鞆の浦」下車、徒歩約5分。

マイカー利用

山陽自動車道「福山東IC」から南へ約32分(15.6km)。福山市鞆の浦駐車場有り(有料・30分200円)。

地図