本佐倉城は、文明年間(1469~1487)に千葉氏が佐倉へ本拠を移して築いた城で、天正18年(1590)に廃城となった。湿地帯を天然の防御とし、土塁や空堀をめぐらせた広大な城域が特徴。現在も城山郭や東山虎口、深い空堀などの遺構が残る。このページでは歴史や見どころ、アクセス、周辺スポットを紹介する。
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本佐倉城の歴史・見どころ
本佐倉城の歴史
本佐倉城(もとさくらじょう)は、享徳3年(1454)に始まる享徳の大乱を背景として成立した。古河公方と関東管領上杉氏の対立が関東全域へ広がるなか、下総の千葉氏でも内紛が起こり、本宗家が滅亡する。一族の岩橋輔胤が千葉氏を継承し、輔胤から子の孝胤にかけての文明年間(1469~1487)に、鎌倉時代以来、本拠としてきた千葉から佐倉へ移り、新たに築いたのが本佐倉城とされる。
築城後は市立てや町立てが行われ、周辺には寺院が次々と創建された。城の鎮守となる八幡神社も整えられ、3代当主勝胤の時代には常奯山勝胤寺や常勝山妙胤寺などの菩提寺・祈願寺が建立され、城下の整備が進んだ。また、千葉氏一族や家臣らによる「佐倉歌壇」の歌合、『雲玉和歌集』の編纂など文芸活動も盛んとなり、本佐倉城と城下は下総の政治・経済・文化の中心地となった。
16世紀中頃になると、関東で勢力を拡大した後北条氏の影響を受けるようになる。5代当主利胤の早世、6代当主親胤の暗殺が続き、7代当主胤富の時代には、本佐倉城から約7kmに位置する臼井城まで上杉謙信が攻め込んだ。胤富は後北条氏と連携する一方、千葉氏内部への介入も受けるようになった。8代当主邦胤は北条氏政の娘を妻に迎え、後北条氏との結びつきをさらに深めた。邦胤が暗殺されると、北条氏政の子・直重が千葉氏当主を継承した。しかしその直後の天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐で、小田原城を本拠とする後北条氏が敗れると、これに属していた千葉氏も所領を没収され、千葉氏による本佐倉城支配は終わった。
その後、本佐倉城は徳川氏に接収され、いったん破却されたのち、城下に陣屋が置かれた。慶長7年(1602)12月には松平忠輝が5万石で封じられたが、翌慶長8年(1603)2月には信濃国川中島へ移封された。慶長15年(1610)になると、軍事上の必要から本佐倉城が再び使用され、小笠原吉次、土井利勝が入城して佐倉藩の藩庁が置かれた。その後、元和元年(1615)に藩庁が佐倉城へ移され、一国一城制により本佐倉城は廃城となった。
本佐倉城の特徴と構造
本佐倉城は佐倉市と酒々井町の境に位置し、城の北側にはかつて香取の海が広がり、現在の京成線付近が当時の汀線にあたった。周囲には湿地帯が広がり、天然の防御壁となっていた。最終形態の城郭は10の郭と衛星状に配した砦を堀によって囲み、南北約2km、東西約1kmに及ぶ。築城当時は内郭群の一部程度の規模で、16世紀後半までに現在確認される姿へ整備されたと考えられている。
城域は内郭群と外郭群に分かれ、内郭群には城山郭、奥ノ山、倉址、セッテイ山などの郭が配置される。城山郭の発掘調査では、主殿、会所、庭園遺構、門、柵などで構成される当主の屋敷群が確認された。
各郭の周囲には土塁や空堀がめぐり、虎口は狭い間口をもつなど防御を強く意識した構造となる。東山虎口には二つの門を蛇行した狭い通路で結ぶ構造が確認され、城山では大堀切、城山通路、城山虎口などが確認できる。城山と奥ノ山の間には木橋が存在した可能性があり、城山南東部の土塁形状からもその様子がうかがえる。
本佐倉城の整備状況
本佐倉城跡では平成2年度(1990)から平成5年度(1993)にかけて、遺構・遺物の確認を目的とした発掘調査が行われ、平成10年(1998)に国史跡に指定された。指定後は史跡内の公有地化が進められ、佐倉市と酒々井町によって史跡の保存・整備と活用に向けた取り組みが進められてきた。
城跡では風雨による土塁や堀切法面の土砂流出、地すべりや変形、倒木による遺構破損などが課題となり、樹木整理、法面保護、雨水処理などが検討されている。また、発掘調査の成果に基づき、土塁・堀切、虎口、門・柵、曲輪内の生活遺構などを整備する方針が示されている。城跡の案内施設では、本佐倉城と千葉氏の歴史を解説する展示パネルや出土遺物が公開されている。
参考文献:
- 『関東の名族 千葉氏の最後の居城 本佐倉城』(酒々井町)
- 『眠りから覚めた本佐倉城跡 城山郭』(酒々井町)
- Webサイト「本佐倉城跡(国史跡)」(佐倉市)
本佐倉城周辺の観光スポット・史跡めぐり
勝胤寺
本佐倉城3代当主・千葉勝胤が創建した寺院。境内には千葉氏の菩提を弔う「勝胤寺千葉家供養塔」があり、佐倉市指定史跡となっている。本佐倉城とあわせて訪ねたい、千葉氏ゆかりの寺院だ。
海隣寺の千葉家供養塔
境内には「海隣寺千葉家供養塔」があり、千葉昌胤・利胤・親胤・胤富・邦胤ら、本佐倉城主を務めた千葉氏当主の菩提を弔う石塔が残る。佐倉市指定史跡で、本佐倉城を拠点とした千葉氏の歴史をたどるうえで貴重な史跡。
本佐倉城周辺グルメ・名物料理
300年続く酒蔵 飯沼本家
酒々井町に蔵を構える、300年の歴史をもつ酒蔵。代表銘柄「甲子(きのえね)」を醸造し、酒蔵見学のほか、敷地内の「酒々井まがり家」では日本酒の試飲や買い物、食事も楽しめる。本佐倉城めぐりとともに、酒々井の酒文化に触れられるスポットだ。
本佐倉城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781 [地図を見る]
県別一覧:[千葉県の城]
電話:043-376-5747(国史跡本佐倉城跡案内所)
- 本佐倉城跡(公式ページ)(酒々井町)
開館情報
本佐倉城は散策自由。国史跡本佐倉城跡案内所は9:00~16:30。休館日は毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)。入館無料。
アクセス
鉄道利用
京成本線「大佐倉駅」下車、徒歩約10分。または、JR「酒々井駅」下車。徒歩約25分。
マイカー利用
東関東自動車道「酒々井IC」から、車約15分(5km)。無料駐車場有り(約30台)。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
本佐倉城:城ファンの知見と記録
本佐倉城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全4件)。
本佐倉城でのひとときを、そっと記録に残す







京成大佐倉駅から歩いて、まず本佐倉城跡案内所へ。出土品やパンフレットがそろっていて、最初に立ち寄ると城のことがよく分かります。平日でしたがガイドさんに案内してもらえ、ただの草地に見えた場所が会所や倉庫の跡だったと知って驚きました。説明を聞いてから歩くと、城跡の見え方がずいぶん変わります。
記録:淡路の旅人 2025
想像していた以上に規模がでかい城だった。土塁や空堀を使った城の造りがよく残っていて、歩いていると戦国時代の城の姿が少しずつ見えてくる感じです。高い場所から北側を眺めると水田地帯が広がり、その先には筑波山も見えました。かつて沼地が広がっていたという立地も、現地に来ると少し実感できました。
記録:明智光秀 2023
空堀好きにはたまらない城でした。倉跡からセッテイ空堀を見下ろしたときもすごいですが、実際に堀底へ下りて見上げると、その深さと険しさに圧倒されます。堀底を歩けるのも本佐倉城の楽しさ。ただ、竹林には細かな枝や枯葉が積もっている場所もあるので、歩きやすい靴が良いです。
記録:堀跡巡兵衛 2021
地元学芸員の案内で本佐倉城を約3時間かけて見学。下総守護としての千葉氏の居城、本佐倉城はすごかった。広大な城域と城山の土塁・虎口が印象に残りました。特にセッテイ山と向根古谷の空堀は見応えがあり、セッテイ山の名は、客を「接待」する場所だったことに由来するという説も興味深い。発掘成果を交えた解説も分かりやすく、本佐倉城を深く知ることができました。
記録:霧隠 2005