写真:岡 泰行

明石城の歴史と見どころ

明石城の築城は、大坂の陣で豊臣氏が滅亡し「天下泰平」の世が訪れた元和5年(1619)、徳川幕府二代将軍、秀忠の命により始まった。その役割は西国に睨みを利かす姫路城の「副官」といったところで、城主は徳川家康の孫に当たる小笠原忠政(後の忠真)である。忠政の岳父、本多忠政が守る姫路城とともに、西国雄藩への備えとするものであった。このため、城の中心部は幕府の直轄工事で行われている。

明石城は台地の突端に本丸や二の丸などがあり、麓の平地には居屋敷曲輪や三の丸が配されている。近世城郭の最後期に築かれた明石城。全体的に直線や方形の縄張りが特徴となっている。天守台はあるが天守は築かれず、本丸の四隅に3重櫓が置かれていた。現在も残る巽櫓(たつみやぐら)と坤(ひつじさる)櫓は、国指定の重要文化財である。外堀の南には、小笠原家の客分となっていた剣豪・宮本武蔵が町割りを手がけたと言われる城下町が連なる。町の間を西国街道が東西に貫き、さらに南には明石港がある。
 
寛永9年(1632)、忠政が豊前小倉城(福岡県北九州市)に転封された後は城主がたびたび代わったが天和2年、越前松平家の直明(なおあきら)が入封。その子孫が明治まで続いた。大正7年(1918)、明石城は県立明石公園として開園。平成7年(1995)の阪神淡路大震災では櫓や石垣も大きな被害を受ける。このとき櫓を解体せずに移動させ、土台の石垣修復後にふたたび戻すという城郭建築では初となる「曳屋(ひきや)工法」が取り入れられた。

2019年には、兵庫県や明石市で明石城築城400周年を記念してのさまざまな催しが行われた。この機会に同地を尋ね、その歴史に触れるのもいいだろう。

明石城の大手と中濠
明石城の大手を守る太鼓門升形虎口跡と中濠。奥側の能丿門には時を告げる大太鼓が置かれていた。

明石城とき打ち太鼓のロボット
現在の「とき打ち太鼓」はロボット制御となった。オリジナルは明石神社に残されている(後述)。

明石城天守台
坤櫓の背後にある天守台。中津城(大分県)の天守を移築する計画があったとも言われる。

坤櫓と巽櫓

現存の櫓は、二基で坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓(たつみやぐら)だ。いずれも三階櫓で方角の名が付いている。往時は、三重の櫓が4基、二層が6基、一層が10基あったらしい。本丸には、前述の坤櫓と巽櫓のほかに、艮櫓(うしとらやぐら)、乾櫓(いぬいやぐら)の2基があり4基で四隅を固めた。

艮櫓は明治6年の廃城令を期に解体され学校用の建材として利用されることになる。乾櫓は明治時代に皇太子の御殿が建つ計画があり、解体された建材が、現存の坤櫓と巽櫓に修理補強のため使われたのだとか。結局、時代は大正となり、皇太子の御殿は建たなかった。現在、櫓内で見られる床や斜交い、ネジなどの金属補強は、明治の修復時のもので、乾櫓がその姿を無くしたが、その建材があってこそ阪神淡路大震災をなんとか耐え抜いたといってもいい。

坤櫓
本丸南西に建つ坤櫓(現存)。高さ13.28m。伏見城からの移築後、再建。左手奥の石垣は天守台

巽櫓
本丸南東に建つ巽櫓(現存)。高さ12.53m。船上城からの移築後、再建

余談ながら、明石城の櫓は二基とも三重櫓。全国に三重櫓は12基しか現存がなく、そのうち2基がここ明石城にある。

明石城の書籍

講座 明石城史しっかり歴史を知るなら『講座 明石城史』(明石城史編さん実行委員会・明石市教育委員会 2000年3月31日発行)が最も濃厚。607ページ、定価6,000円。播州明石城図、播州明石図も付いている。または、明石市立文化博物館の2003年の企画展の刊行物『発掘された明石の歴史展〜蘇る明石城〜』が良い。そのほか『明石市 明石城跡III』─県立明石公園石垣都市災害復旧事業に伴う発掘調査報告─(兵庫県教育委員会2000年3月)など。書籍では『ひょうごの城紀行(下)』。現地では、明石市立文化博物館に、明石城に関する多少のパネル展示がある。また、パピオスあかし4階にあるあかし市民図書館には、播磨地方の城に関する市史などを集めたコーナーがあり、明石城に関する書籍を手にとることができる。

明石城の撮影方法

2019年3月、明石城は築城400年を迎えた。石垣崩壊防止のため、巽櫓と坤櫓の付近の約300本の樹木の伐採を発表、2018年12月には壮大な石垣とともに、観ることができる。ビジュアル的にも、歴史的にも2基の櫓はできるだけ、セットで捉えたい。明石商工会議所の方がより正面になるが、一般旅行客は入ることができない。坤櫓と巽櫓をセットで捉える絶好のポイントをご紹介。

JR明石駅ホームから

JR明石駅からの眺望駅前城郭といっていい距離感で、JR明石駅上りホームから明石城が望める。2018年には眼前の電線が無くなり、よりすっきりと城を観られるようになった。また、2019年3月には、石垣前の木々が伐採され、壮大な石垣が見られるようになった。駅のホームで眼下に建物がない切れ目を探して写真を撮ると良いぞ。

「パピオスあかし」から

JR明石駅すぐ南側のビル「パピオスあかし」。上階に図書館などがあり、その窓から観ることができる。JR明石駅より高いところから見下ろすことになるので明石商工会議所からの眺望に匹敵する。7階には屋上広場もありこちらは土日祝のみ開放されている(10時〜日没まで。雨天閉鎖)。

  • パピオスあかし

    パピオスあかしの眺望

  • パピオスあかしから明石城

    パピオスあかしから望む明石城

2019年、新しい写真アングルが登場

前述のように2019年3月、石垣前の木々が伐採され、壮大な石垣が見られるようになった。一度、明石城を訪れたことがある人も、これほど壮大だったかとその印象が変わる規模だ。本丸石垣ももちろんなのだが、それよりも二の丸・三の丸(東の丸)の石垣が迫力がある。東丸から坤櫓までの石垣は合算すると約300mにも及ぶ大パノラマ(稲荷曲輪までを含めると約380m)。是非、この機会に再訪してほしい。

  • 明石城二の丸石垣と巽櫓(手前)と坤櫓(奥)
  • 明石城巽櫓櫓台と二の丸と本丸を結ぶ土橋など
  • 明石城二の丸石垣・東の丸石垣

2021年、自分色ライトアップ始まる

明石城ライトアップ「明石城 櫓・石垣ライトアッププロジェクト」として、LED照明によるライトアップがなされている。2022年1月現在は、坤櫓・巽櫓とその間の石垣東西約100mがライトアップされ、ゆくゆく約370mの石垣をライトアップする。広く寄附を募集しておりその額によっては自分色のライトアップも可能になるのだとか(写真は青色)。

明石城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る明石城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

明石城の関連史跡

 

城下に時を知らせた「とき打ち太鼓」

城下に時を知らせた「とき打ち太鼓」(明石神社)武士の姿をしたロボットが時をうつ「とき打ち太鼓」。明石城太鼓門に据えられた時刻を知らす太鼓で、明石城太鼓門脇にあり、当時と同じ数で一刻(2時間)に一度、太鼓をたたいてくれる。なお、当時の太鼓は、城の東側にある明石神社に保管されているからこちらも見ておこう。明石神社は、明石城内に徳川家康を祀ったのが始まりで、大正7年(1918)に、現在位の場所に移された。阪神淡路大震災でダメージを受けて後、地元の反対もあったが境内の土地を一部売却し再建されている。社殿の中に入ることはできないが、ガラス越しに当時の「とき打ち太鼓」を観ることができる。

織田家長屋門

明石城下に残る織田家長屋門明石公園の敷地の南西角の交差点近くにある、織田家長屋門が武家屋敷の名残をとどめている。明石は、川崎航空機(現、川崎重工)の明石工場があったため、昭和20年1月から、7度の空襲を受けた。最も激しかったのが、7月6日から7日にかけての空襲で、町の6割を失うことになる。明石公園から2号線までの間は主に武家屋敷のあったエリアで(2号線より南は町屋)この時、壊滅的な被害を受けたが、織田家長屋門は空襲も生き抜いた。明石城の前身である船上城から、元和5年(1619)に移築されたものとされ、桃山様式らしい。船上城は明石警察署の近くなのでここ明石城とセットで訪れておくと良いだろう。

伏見城の移築城門、月照寺の山門

明石城下にある月照寺の山門は、伏見城の移築城門明石城の東にある月照寺の山門は、伏見城の薬医門を移築したもの。この月照寺は、もともと明石城本丸にあり築城に際し現在の場所に移転した。余談だが、この月照寺の麓に「亀の水」と呼ばれる湧き水(播磨三名水)がある。お城めぐりの道中でほっと一息を美味しい水とともにどうぞ。阪神淡路大震災でも涸れることが無かった湧き水で、石の手水鉢は享保四年と刻まれている。夏は冷たく、おいしい水。夕方になると、地元の人が水を汲みに訪れる。

船上城もお忘れなく

船上城明石城の前身である船上城(ふなげじょう)は、現在、畑の中にぽつんと残る本丸跡といった風情で、畑を囲むように流れる小さな古城川が内堀跡と言われている。本丸跡に、古城大明神があり、その台座の中に船上城址の石碑が隠されている。明石の地にキリシタン大名の高山右近が築いた城も体感しておこう。

明石港旧灯台

明石城の南に瀬戸内海に面した明石港がある。元和5年(1619)の明石城の築城開始後、間もない元和7(1621)年に小笠原忠政(忠真)が新たに明石港の築港工事に着手している。寛永年間(1624~44)には港の入口にあたる波門崎に石垣を築き改修した。寛永期の明石港は、旧灯台付近の深さは三尺(約90cm)、港の入口は12間(約12m)あり、比較的大きな船も入ることができた。現存する石垣には明石城と同じく石をつなぐ「ちぎり」と呼ばれる技法が見られる。その港には、明暦3年(1657)、第5代明石藩主松平忠国の命により建築された古い灯台「旧波門崎燈籠堂」も現存する。花崗岩を隙間無く積み上げた美しい石垣が見られ、新たな灯台が造られる昭和38年まで現役の灯台だった。現存する日本の旧灯台のうち設置年代は2番目に古いらしい。明石市指定文化財。

望海浜公園の松林

望海浜公園の松林望海浜公園は、寛文年間(1661〜1672)に当時の明石藩主、松平信之が防風と砂止めのため植えた松林がある。また、天和年間(1681〜1684)に松平直明が建てた「望海亭」という茶亭があった。

明石海峡大橋

明石城の本丸から東南を望むと海と橋が見える。本州と淡路島を結ぶ明石海峡大橋で、世界最長の吊り橋だ。その本州側の麓には、勝海舟が設計し明石藩が築城した明石藩舞子台場跡があり、淡路島側には徳島藩が築いた松帆台場跡がある。現在でも、明石海峡は1日800隻が行き交い、海の銀座とも云われているほどで日本一の交通量を誇る。台場はその要衝に築城された。余談ながら現在の明石海峡では、淡路島側に大阪湾海上交通センターがあり、海上保安庁がその交通整理を行っている。

明石城のおすすめ旅グルメ

明石といえば「明石焼き」

明石焼き明石といえば「たこ」と「明石焼き」。明石焼きは、なんと、明石市内に70件以上の店がある。時間とお腹のキャパ次第で、食べ比べしたいところだ。たこ焼きをあっさりした出汁でいただく明石焼きの注文は、一皿ではなく「1枚」と注文すると覚えておこう。 また「魚の棚(うおんたな)」と呼ばれる魚市場で駅から南へ徒歩3分。昼12時すぎには午網(ひるあみ)が入荷し活気づく。明石焼きの名店と一緒に足を運ぶのもよいだろう。

明石の「鯛」

明石の鯛は全国的にも有名で、兵庫県や大阪府では特に知名度が高い。ちょうど明石海峡大橋のある付近は潮流が激しく、鯛はそれに揉まれ身が引き締まっているためだ。養殖と比べるとその味は段違い。まれに背骨などにコブがある鯛もあり、それが荒波に揉まれた証拠とも言われている。

明石城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

グリーンヒルホテル明石「グリーンヒルホテル明石」は6階建のビジネスホテルで、城に隣接しており上階から明石城の城域が一望できる。織田家長屋門のすぐ近く。6階はどこも眺望が良いが、できれば東側の部屋に泊まりたい。または、城は見えないが駅の南側の「明石キャッスルホテル」。

明石城のアクセス・所在地

所在地

住所:兵庫県明石市明石公園1-27 [MAP] 県別一覧[兵庫県]

電話:078-918-5080(一般社団法人 明石観光協会)

開館時間

明石公園は散策自由。明石城で現存する坤櫓(ひつじさるやぐら)、巽櫓(たつみやぐら)の内部一般公開は、巽櫓は春期(3月~5月)、坤櫓は秋期(9月~11月)の土日祝、10:00~16:00。

アクセス

鉄道利用

JR山陽本線、明石駅、または山陽電鉄、明石駅下車、北へ徒歩1分。駅前城郭だから迷うことはない。

マイカー利用

第二神明道路「大蔵谷IC」より約10分、第二神明道路「玉津IC」より約15分。協会駐車場が主郭部に近く良い(366台・有料)。

城ファンの気になるところ (13)

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    城を見るには高いところに登れと言いますが、明石城は駅のホームに上がるとその姿がよく見えます。

    ( 官兵衛)さんより

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    明石城の見所は、東側の堀。舌状の台地の一部が城になっているのですが、その高低差を段々の堀でカバーしています。林になってまして、よく見えないのですが、おそらく上段の堀から、中段の堀へといった形で、水を下に流す口があるように、想像されます。

    ( 官兵衛)さんより

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    明石城の全景は、JR明石駅から、眺めると結構いい姿してます。駅からこれほどよく見える城も少ないですね。現存する建物は、櫓が2つ(巽櫓・坤櫓)(重文)。阪神淡路大震災で外壁にびびが入り、修復中です。平成8年度には、平成9年3月31日までに終えると告知されていたようですが、工事が長引いているらしく、今では、平成10年度までかかると、アバウトに告知されていました。

    ( 明石城好き)さんより

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    櫓の修復は、面白いことやってます。鉄製のレールに乗せて約240tの櫓をあらかじめ補強し、ジャッキアップして10数m(5分間に60cm)移動させ、さらに、高くジャッキアップして修復されています。この工法を曳屋工法といい、城郭修理では初めての採用らしいです。工事費用、約10億円とのこと。

    ( 官兵衛)さんより

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    明石城の櫓を移動する際の補強は、矢狭間に鉄の棒を入れて(櫓の串刺し)、1年ほど、ほっとかれたようですが、今では櫓を支える石垣部分の修復が終わったようで、櫓そのものに着手しています。一つはほろがかぶせられ、全く見えない状態でしたが、一つは幸いにして、ほろなし、見ることができました。約1mほど宙に浮いてまして、1階部分の床と土塀がない状態で、ジャッキアップ用のふと〜い柱数本が支えてます。はじめての天空の城かも?でもこれがまた痛々しい姿で、ただ立ち尽くしてしまいました。

    ( 明石城好き)さんより

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    1998年、明石城の本丸・二ノ丸・東ノ丸・稲荷郭周辺の石垣の積み直しを行っていまして、こちらはほぼ完成してます。積み直しというよりか、新しい石材を組んでいて、古いものと新しいほうとのギャップがはげしく目写りします。この城も高石垣で有名ですが、不思議と低いものばかり崩れたようです。また簡易の修復か以前からかは分かりませんが、石と石の間をコンクリート?を埋める形で、補強されていました。これまたがっくり。

    ( 明石城好き)さんより

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    明石城の修理に“曳き屋”がかんでいたって初めて知りました。あ、曳き屋ってのは建築物を分解せずに移動させる建築業者なんですが、現在じゃあ随分少なくなってるそうです。

    ( デイヴ.N.藤林)さんより

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    明石城の歴史について。1620(元和6)年、二代将軍徳川秀忠の命により、信濃松本より明石藩主となった、小笠原忠政によって築城されました。現在は、坤櫓、巽櫓の二つの櫓と、本丸、二の丸、三の丸の石垣が残っています。本丸には天守台も残っていますが、実際にこの上に天守が建てられたことはなく、坤櫓が天守の代用として使われていたようです。城内は明石公園として整備され、市民の憩いの場となっています。

    ( ただくん)さんより

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    明石城にはちょっと変わった時計があります。南側の入り口から公園に入ったところに偶数の時刻のみ太鼓を打つからくり人形があります。ちょっとした名物でそれをみにくる人もいる一度みてください。

    ( 傍観者)さんより

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    明石城の艮櫓跡は、明治時代に小学校の木材として解体された。明石城の乾櫓跡は、目立たないところにあるので注意せよ。天守台から見る坤櫓はとてもいい。夜になると展望台からは、明石の夜景が美しい。とくに明石海峡大橋。

    ( ジャック2)さんより

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    明石城の堀には、なぜか噴水がつけられています。
    少し違和感を感じます。

    ( 城好き中学生)さんより

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    中津城の天守がここ明石城に移築されていたかもしれない、でも播磨灘で移築建材を積んだ船が沈んでしまったというウワサがある。

    ( shirofan)さんより

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    明石市は、明石城築城400年の2019年3月を目指し、石垣崩壊防止のため、巽櫓と坤櫓の付近の約300本の樹木の伐採を発表。また、大手門の復元も検討されている。

    ( shirofan)さんより

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