志知城は鎌倉時代初めに菅和泉守道忠が築いたと伝わり、天正13年(1585)以降に加藤嘉明によって改修された。三原平野北西部の平地に築かれた平城で、方形状の本丸台と南側に二の丸を配する。現在は本丸台を中心に城跡の地形をたどることができる。このページでは志知城の歴史や構造、遺構、見どころを紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
志知城の歴史・見どころ
志知城の歴史
志知城は、淡路島南部の三原平野北西部に築かれた平城で、鎌倉時代初めに菅和泉守道忠が築いたと伝わる。道忠は当初、三原郡野口村に拠点を置いていたが、交通の不便から志知へ移り、新たに城を構えたという。以後、菅氏はこの地を拠点とし、鎌倉幕府に従ったと伝えられている。
南北朝時代について、現地案内板では『太平記』に、志知の武士が南朝方に従い、淡路西浦から京都へ出陣したことが記され、その武士集団の拠点が志知城であったと伝えている。一方、『日本城郭大系』では、菅秀正が足利尊氏方に従軍し、細川師氏による淡路攻略の際には菅氏(野口氏)も細川方に属したとしている。その後も菅氏は代々足利幕府に従って京都へ出仕したと伝えられ、室町時代には淡路守護細川氏に属した。志摩守実邦の代には菅氏から野口氏へ改姓し、野口志摩介を称したという。
室町時代末期、阿波・淡路における細川氏の勢力が衰え、三好氏が台頭すると、淡路の豪族も三好氏との結びつきを強めた。野口肥前守則守も三好氏に味方して阿波へ渡り、細川方の連合軍と戦っている。その子弘宗は再び菅氏を称したが、その後は再び野口姓となった。天正4年(1576)には城地東方の伊勢明神社を再興しており、当時も志知を本拠としていたことがうかがえる。
天正9年(1581)、羽柴秀吉による淡路攻略が行われると、志知城と由良城は攻撃を受けた。志知城は落城し、野口長宗は阿波へ移り、城には黒田孝高が入って四国方面への備えにあたった。
天正13年(1585)、秀吉は洲本城に脇坂安治、志知城に加藤左馬助嘉明を配した。嘉明は一万五千石の城主として入城し、志知城は近世城郭へと改修された。志知城は淡路水軍の重要な拠点となり、加藤氏の水軍は天正14年(1586)から翌15年(1587)の九州遠征、天正18年(1590)の小田原攻め、文禄元年(1592)に始まる朝鮮出兵にも出陣した。
文禄4年(1595)、加藤嘉明が伊予へ転封されると、志知城は豊臣秀吉の直轄領となり、代官の石川紀伊守光遠・三宅丹波守が入った。その後、河口の叶堂に新城が築かれたことにより志知城は廃城となった。
志知城の特徴と構造
志知城は三原平野北西部、標高約5mの平地に築かれた平城で、『日本城郭大系』では城域を東西約203m、南北約303mとしている。現在の城跡は、加藤嘉明が入城した天正13年(1585)以降に改修された近世初期の城郭の姿を伝えている。中世には菅氏・野口氏の居館が置かれていたと伝わるが、その時代の遺構は確認できない。
中心となる本丸台は方形状をなし、現地案内板では一辺約72m、高さ約5.5mとされる。その南側には一段低くなった一郭があり、「二の丸」と呼ばれている。本丸北側には天守台または櫓台と伝わる場所があるものの、古図によって位置が異なり、現状から確定することは難しい。石垣は確認されていない。
本丸の周囲には外堀が巡っていた。『日本城郭大系』編纂時には大部分が埋められて細長い溝状となっていたものの、本丸東側の伊勢明神社周辺や松本地区などに堀の一部が残っていた。現地案内板では堀を南北約130m、幅約15mとしている。
周辺には「城ノ内」「内堀」「堀ノ端」「堀門」「城ノ東」など城郭に関係する字名が残り、馬場や堀部市右衛門屋敷跡なども伝えられる。本丸台からは城郭建築に使用されたとみられる古瓦も出土している。平地に築かれながら水上・陸上交通との結びつきが強く、現地案内板では近世初期の形式をもつ「水城的な平城」と位置づけられている。
志知城の整備状況
現在の志知城跡では、本丸台を中心に城跡の地形を確認できるものの、曲輪や堀の多くは旧状を失っている。現地案内板によれば、本丸を広く取り囲んでいた外堀も現在では往時の姿を見ることが難しく、石垣も確認されていない。本丸台南側には「二の丸」と呼ばれる一段低い区画が残り、周辺には「城ノ内」「内堀」「堀ノ端」「堀門」など城郭に由来する字名が伝わる。平成3年(1991)には三原町教育委員会、三原町文化財審議委員会、志知地区公民館によって現地案内板が建立され、志知城の歴史や縄張り、城下周辺の旧地名を知る手がかりとなっている。
参考文献:
- 『日本城郭大系12』(新人物往来社)
- 現地案内板「志知城跡の御案内」(三原町教育委員会・三原町文化財審議委員会・志知地区公民館)
志知城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:兵庫県南あわじ市志知300 [地図を見る]
県別一覧:[兵庫県の城]
電話:0799-42-3849(南あわじ市埋蔵文化財調査事務所)
アクセス
マイカー利用
神戸淡路鳴門自動車道「西淡三原IC」から南へ3分(約1.5km)。旧藤江石油に新しく整備された無料駐車場(10台)有り。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
志知城:城ファンの知見と記録
志知城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全3件)。
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本丸だけでなく周囲も歩いてみると、堀が残っている場所があり、平地の城だったことを実感できます。東側へ回って堀や馬場のあたりまで見て歩きました。規模の大きな建物遺構はありませんが、地形を追いながら巡ると楽しめる城跡です。
記録:城好きの匿名希望 2025
以前は竹藪がかなり深かったようですが、訪れた時には竹が伐採され、城内を歩きやすくする整備が進んでいました。本丸周辺も見通しがよくなっていて、案内板の縄張り図と見比べながら歩くと城の形がつかみやすかったです。
記録:淡路の旅人 2025
スーパーマルナカの向かいに城跡見学用の駐車場があり、そこから登城口へ向かいました。案内看板が目立つので迷うこともなく、緩い坂を上るとすぐに曲輪へ着きます。思っていた以上にアクセスしやすい城跡でした。
記録:城めぐり父さん 2024