岩村城は、文治元年(1185)に加藤景廉が築いたと伝わり、戦国時代には織田氏と武田氏の攻防や「女城主」の物語で知られる山城。標高717mの山上に曲輪と石垣が重なり、日本三大山城の一つに数えられる。現在も六段壁をはじめ壮大な石垣群が残り、このページでは歴史や構造、見どころ、撮影スポットを写真とともに紹介する。
写真:岡 泰行(城郭カメラマン)
岩村城の歴史・見どころ
岩村城の歴史
岩村城(いわむらじょう)は、源頼朝の重臣・加藤景廉が文治元年(1185)に築いたと伝わる。景廉の子・景朝は遠山氏を称し、以後、岩村城は東美濃に勢力を広げた遠山氏の拠点となった。当初は現在見るような城郭ではなく、砦的なものであったと考えられ、その後、戦国時代から近世にかけて改修を重ね、現在につながる縄張りが形づくられた。
戦国時代になると、美濃・信濃・三河を結ぶ要衝に位置する岩村城は、織田氏と武田氏が争う東美濃の重要拠点となった。元亀元年(1570)、武田信玄は秋山信友を東美濃へ進出させ、岩村城を攻撃した。城主・遠山景任は織田信長に救援を求めて抗戦するが、元亀3年(1572)に病没する。信長は自身の子・御坊丸を遠山氏の跡継ぎとしたものの、景任の妻で信長の叔母にあたる、おつやの方が城主となり、のちに「女城主」として知られることになる。
景任の死後、秋山信友が再び岩村城へ迫ると、女城主と信友との婚姻などを条件として和議が成立し、岩村城は武田方の城となった。御坊丸は人質として甲斐へ送られ、信友が岩村城に入る。天正3年(1575)、長篠の戦いで武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れると、織田信忠が岩村城を攻め、同年に落城させた。
その後は織田方の河尻鎮吉(秀隆)が入り、さらに森氏が岩村を支配した。森氏の時代には城郭の修築だけでなく、検地や城下町の整備も進められた。慶長4年(1599)に森忠政が信濃川中島へ移ると田丸具安(直昌)が入城したが、関ヶ原の戦いで西軍に属したため改易となった。
慶長6年(1601)には松平家乗が入り、近世岩村藩の基礎が築かれた。寛永15年(1638)に松平乗寿が浜松へ転封されると丹羽氏が入封し、5代にわたって岩村を治めた。元禄15年(1702)には再び大給松平氏が入り、以後、明治維新まで7代にわたって続いた。城主の居館と藩政の中心は山麓の藩主邸に置かれ、山上の城郭と山麓の居館を組み合わせた近世山城として存続した。
明治維新後に岩村城は廃城となり、明治6年(1873)の廃城令を経て城内の建造物は解体された。現在は石垣や曲輪、櫓の礎石などが残り、昭和32年(1957)に岐阜県史跡に指定されている。
岩村城の特徴と構造
岩村城は、恵那市岩村町の市街地東方にそびえる城山に築かれた山城で、本丸最高所は標高717mに達する。大和の高取城、備中松山城とともに日本三大山城に数えられ、尾張・三河・信濃・遠江へ通じる要衝を押さえる。急峻な地形を取り込み、本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・八幡曲輪・出丸・帯曲輪などを配置した大規模な縄張りを持つ。
山麓の藩主邸跡から藤坂を登ると一の門、さらに土岐坂を経て土岐門へ至り、その先で折り返して大手門へ入る。大手には空堀と畳橋、枡形、三重櫓が設けられ、城内でも特に堅固な防御を担っていた。三の丸から二の丸へ進むと、その一段高い頂上部に本丸を構える。
現在も総延長約1.7kmに及ぶ石垣が残り、本丸裏門付近では野面積み・打込みハギ・切込みハギという異なる石垣技法を一度に確認できる。なかでも、急斜面に石垣と犬走りを重ねた「六段壁」は岩村城を象徴する遺構の一つ。本丸や出丸、櫓の礎石、井戸なども残り、中世から近世にかけて改修を重ねた山城の姿を現在に伝えている。





岩村城の整備状況
岩村城跡は昭和32年(1957)に岐阜県史跡に指定され、石垣や登城路などの保存が図られている。一方、長年の風雨によって石垣のゆがみや、大雨による土砂流出などが生じており、恵那市では保存整備に向けた調査が進められてきた。
平成30年度(2018)からは城跡の文化財としての価値を明らかにするため、石垣一面ごとの台帳作成や発掘調査などが行われた。発掘調査では本丸で土質の異なる整地層や山茶碗などが確認され、戦国時代から江戸時代にかけて行われた造成の経過を検討する資料が得られている。こうした成果は今後の保存・整備に向けた基礎資料とされ、恵那市では計画的な保存整備や歴史的価値の研究・普及、国史跡指定を目標とする取り組みが進められてきた。
参考文献:
- 『日本城郭大系9』(新人物往来社)
- 『岩村城を守る』(岩村城を守る会・恵那市教育委員会 文化課)
- Webサイト「岩村城跡」((一社)恵那市観光協会岩村支部)
岩村城をより深く学ぶ展示・資料館・学習スポット
岩村城の関連パンフレット
無償配布のパンフレットは、『岩村歴史資料館』のA4三つ折パンフ、または、『東美濃の山城』東美濃歴史街道競技会「東美濃の山城」推進部会発行・A48ページ、カラー、無料。岩村城と岩村城下町、美濃金山城、苗木城跡の代表的な見どころと縄張図を掲載。それぞれのグルメや周辺情報を掲載している。
岩村歴史資料館
岩村藩主邸跡に建てられた資料館で、岩村城の鬼瓦(家紋があしらわれている)や藩主邸の太鼓櫓にあった太鼓が展示されている(出丸の太鼓櫓にあった大太鼓は豊川稲荷に現存している)。そのほか、岩村城の模型などがある。そのほか『地域的聚落史的に眺めた岩村城下町』『岩村藩歴代藩主略譜』『岩村藩藩士歴世略譜(上・下)』など関連書籍も販売されている。
岩村城の撮影スポット・絶景ポイント
岩村城で押さえておきたい撮影ポイントは、麓の藩主邸跡に復元された太鼓櫓、石垣が幾重にも重なる六段壁、出丸から望む本丸の高石垣。太鼓櫓と六段壁は午前、出丸から本丸を狙う場合は午後の撮影が適している。六段壁付近では、東曲輪から本丸を仰ぎ見ると、急峻な地形に築かれた石垣の重なりを捉えることができる。こちらも午前がおすすめ。
日本三大山城の一つだけに、見どころは本丸周辺だけではない。登城路を歩きながら、山中に累々と連なる石垣や、尾根と斜面を取り込んで広がる曲輪群もくまなく撮影しておきたい。城全体を歩いて記録することで、標高717mの山上にこれほどの規模の城郭が築かれたことを、写真からも実感できる。
岩村城の写真(城写真ARCHIVE)
城郭カメラマン 岡 泰行が30年にわたり撮影・記録してきた「城写真ARCHIVE」では、岩村城の魅力を写した写真を公開している。訪問前の見どころ探しや、旅の余韻を振り返る際にも役立つ。
岩村城周辺の観光スポット・史跡めぐり
岩村城下町
城下町は重要伝統的建造物群保存地区。一般公開されている木村邸、土佐屋をはじめ旧家が多い。高札場やなまこ壁、めずらしい家屋としては藩政時代に火縄銃や槍の製造をしていた一部土蔵造りの鉄砲鍛冶などがある。
移築城門、徳祥寺山門
岩村城の土岐門が徳祥寺に移築現存している。もとは鶴城の城門だったが土岐氏との戦いの戦利品として、岩村城二の門(土岐殿門)として移築された。明治6年に徳祥寺の山門となっている。
そのほかの史跡
また、大将陣は、岩村攻めの織田軍の本陣跡で岩村城の正面に位置し、城主秋山信友・修理夫人が磔にされた場所でもある。現在は碑が建つ。おあと、大名墓地や移築された土岐門(徳祥寺山門、岩村町飯羽間)など。お城では、同じ明智鉄道で終点明智駅から明智城(白鷹城)。またはもう一つの明智城、名鉄明智駅からの明智長山城など。
また、城下町の本通りの家々では、平成4年頃から、女城主の里として、家族の女性の名前を記した、のれんを掛けている。この地でのみ見られる面白い試みだ。
岩村城周辺グルメ・名物料理
岩村城下で立ち寄りたいのが「かんからや」。地元の人も足繁く通う、かんから餅とうどんの店で、岩村駅から岩村城へ向かう城下町の通りにある。名物は、岩村ならではの「かんから餅」。うどんの出汁は関西風で、岐阜より北に行くと薄味になるそうだ。出汁の利いたやさしい味わいが印象に残る。訪れた際には、通りに人影が少なかったのとは対照的に、店内は地元客で賑わい満席だった。城下町歩きの途中で、うどんとかんから餅をぜひ味わってほしい一軒。
岩村城周辺ホテル・宿泊情報
岩村城の近くで宿泊するなら「岩村山荘」。岩村城跡の麓にあり、城下町の散策とあわせて岩村城をじっくり巡る拠点にしたい宿。食事も魅力で、名物の「戦国料理」を中心に、囲炉裏を囲んで飛騨牛や川魚、山里の旬の味覚を楽しめる。春は山菜、夏は鮎、秋はきのこや松茸、冬はジビエなど季節ごとの料理も用意されている。日本三大山城を歩いたあとは、山里の料理を味わいながらゆっくり過ごすのもよい。
岩村城アクセス・駐車場・営業時間
所在地
住所:岐阜県恵那市岩村町城山 [地図を見る]
県別一覧:[岐阜県の城]
電話:0573-43-3057(岩村歴史資料館)
開館時間
岩村城跡は散策自由。岩村歴史資料館は、4月~11月は9:00~17:00、12月~3月は9:30~16:00。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日および翌々日)、祝日の翌日、年末年始(12月28日~1月4日)。ゴールデンウイーク後など休館日が変則的になる場合があるため、訪問前に公式サイトで確認しておきたい。
アクセス
鉄道利用
JR中央本線恵那駅で明知鉄道に乗り換え、岩村駅下車。岩村歴史資料館まで徒歩約20分。資料館から岩村城本丸までは、藤坂などの登城路を徒歩約20分。
マイカー利用
中央自動車道恵那ICから国道257号経由で岩村歴史資料館まで約20分。岩村歴史資料館に駐車場があり、ここから徒歩で登城できる。岩村城跡へ向かう車道は道幅が狭く、すれ違いが困難な箇所もあるため、岩村歴史資料館に駐車して徒歩での登城がおすすめ。
地図
掲載写真・記事は、現地調査・撮影・記録をもとに作成しています。
岩村城:城ファンの知見と記録
岩村城を訪ねた人たちが残してきた記録です。現地での発見や知見が寄せられ、城歩きの文化の中で育まれてきた経験がここに蓄積されています(全8件)。







日本三大山城の高さは、高取城(海抜583m、城下町から比高446m)、備中松山城(海抜430m、比高290m)、岩村城(海抜721m、比高150m)。
記録:城好きの匿名希望 2016
明智鉄道、岩村駅にある「岩村町御用承り処」というところで城下町のマップをGET!ここでは地元ならではの情報をいろいろ教えてくれる。ちなみに城址はポイントごとに挿し絵付きの説明板が設置されており見所が分かる。
記録:半兵衛 2002
城内の土岐門跡は、遠山氏が土岐氏を破った際にその城門を移築したことから名が残るそうで土岐門は現在、徳祥寺(岩村町飯羽間)に移築現存しています。
記録:半兵衛 2002
冬は結構雪が積もります。気をつけて歩いてね!自分は人が少ないのをいいことに帰りダンボール紙にまたがって滑って降りてきました。
記録:ぜろ 2001
余談ですが地元では城下の浄光寺で冠婚葬祭をここで行うのがステータスと聞きました。
記録:又兵衛 2000
高いところに築城されたお城で登るのが大変ですが、登りつめる度、期待で心臓の音が高鳴ります(標高700mの山道を登れば当たり前か)。天主台は今はないが、目を閉じれば浮かんでくるよう。まだ行かれたことのない方は一度訪れてください。
記録:島左近勝猛 2000
日本三大山城の一つで標高721mともっとも高いところにある城址です。女城主の里と呼ばれ城主が女性だったこと。城内には17にも及ぶ井戸があり、800年もたった今でも10数個の井戸が今も水をたたえています。
記録:古川和実 1999
蛇骨を井戸に投げ込むと霧が発生するといわれ、霧のお城と呼ばれていた。町中も、昔ながらの城下町が広がり長崎にカステラが伝わった当時と同じ製法で作られている店があり、全国から人が訪れています。また、岩村酒造ではわき水を使ったお酒が昔から造られています。
記録:古川和実 1999