備中松山城
写真:岡 泰行
備中松山城の開城時間
4月~9月はAM9:00~PM5:30、10月~3月はAM9:00~PM4:30。大人300円・小中学生150円。休館日は12月28日~1月4日。
備中松山城のアクセス・駐車場
鉄道利用
JR伯備線「備中高梁駅」下車、山頂の天守付近までは徒歩約90分。改札口を出て右手の観光案内所から乗り合いタクシーが便利(要予約)。たとえ一人でもふいご峠まで片道420円、おあと徒歩約20分で天守付近。乗り合いタクシーは1日4往復なので、帰りの予約も忘れずに。
なお、土日祝だとシャトルバスもあるが、こちらは自家用車利用の駐車場から城までの手段なので、電車利用の場合は考えるべからず。
マイカー利用
平日なら、ふいご峠駐車場(14台)を利用、徒歩約20分で天守付近。なお、土日祝のシャトルバス運行日は城見橋公園からふいご峠駐車場の間は一般車の通行はできないため、城見橋公園(五合目)の駐車場(約110台)を利用し、そこからふいご峠(七合目)までシャトルバスを利用、下車徒歩約20分で天守付近。シャトルバスは12月第3週から2月末日を除く土日祝に運行している。
備中松山城の文献資料
調査報告書
重要文化財備中松山城天守及び二重櫓保存修理工事報告書など、奈良文化財研究所に全国遺跡報告総覧にアップされているぞ。
書籍情報
「高梁は僕の故郷ですよ」さんから、お寄せいただいた書籍情報。記して御礼申し上げます。
- 日本の城の歴史、築城など全般については、「日本城郭事典」大類伸監修(秋田書店発行)が詳細です。大類氏は西洋ルネサンスなど西洋史が専門ですが、日本の城郭研究の権威者の一人です。事典の313-4頁に備中松山城の歴史を紹介。
- 「城とその町」伊藤ていじ著、吉田靖・写真(淡交新社)。中世の城、近世の城普請、城下の町割りなど詳細。
- 「城=築城の技法と歴史」伊藤ていじ著(読売新聞社)、伊藤氏は工学院大学長をされた城郭の専門家。
- 高梁川の落合で死没した山中鹿之助の歴史は、「歴史と人物」三浦周行著(岩波文庫)、「鴻池善右衛門」宮本又次著(吉川弘文館)の二冊。三浦氏の本の解説は林屋辰三郎氏。宮本氏は鴻池家の遠祖・山中鹿之助幸盛を経済史家として多年の研究です。
備中松山城と高梁市を、多くの人に知って貰うのは、郷土の誇りですね。
城ファンが紡ぐ、シリーズ『城の歴史旅』
備中松山城の撮影スポット
備中松山城の雲海を見るためのチェックリスト
いつ行っても見られるという訳ではない
備中松山城の雲海を見るには、いつ行けば良いのか、アクセスは簡単なのか、用意するもの、駐車場、電車で行って見られるのかなど事前に雲海を見るための狙い目を下記ページでチェックしておこう!
備中松山城のグルメ
高梁川で採れる「鮎」は、もちろん夏限定。城ファンは備中高梁駅近くの郷土料理「味の伊知」にて備中松山城三色めんをどうぞ。天守閣の巨大な器に入って出てくるぞ。
備中松山城近郊のホテル・旅館
「高梁国際ホテル」など。そのほか高梁駅周辺に小さいホテルが数件。
備中松山城の歴史観光スポット
この地で毛利氏により殺された山中鹿之助の墓が、高梁川と成羽川の合流付近(「阿井(合)の渡し」)の少し北にある。また、さらに国道313号線を西に約1km行けば、山中鹿之助の胴塚があるぞ。付近の観泉寺には山中鹿之助の位牌が安置されている。
また、城下町に残る武家屋敷も必見だが、ここはひとつ、高梁駅の東にある薬師院・松連寺に足を運んでほしい。松山城の南の守りを強化するために築かれた城郭作りの寺。城を彷彿とさせる石垣が見応えあり。(場所は上記Googleマップでチェック)
備中松山城の口コミ 城ファンチェック (12)

1997.11.06 じぇみ さんより
天守の周りにぎょうぎょうしく高圧電線が巻いてありました。「防犯用ですか?」と係りのおじさんにたずねると「猿除けです」。たまに、猿が城を乗っ取ってしまうようですね。今も巻いてありました。
1997.11.06 半兵衛 さんより
トイレは2ヶ所。駐車場と城中の黒門跡を越えて左へ。黒門のトイレは山頂にありながら、城主のものかと思えるほど、他の城のトイレと比べて抜群にきれい。
1998.05.19 城山神々 さんより
巧妙に削りだした岩盤に載る石垣が見どころ。こんな高所に築城するなんて孤立必定、防御には逆効果でっせ。
1998.09.28 半兵衛 さんより
備中国のど真ん中の臥牛山と呼ばれる478mの山の一つの峰に備中松山城があります。臥牛山に城を築いたことは、側に高梁川という南北に貫く川が流れており、水陸交通の要所だったことからもうなずけます。山の全景は牛の背中に見えます。もともとは松山と呼ばれていたらしいのですが江戸時代くらいから老牛が腹ばいになり草を食べている姿に似ていると臥牛山と呼ばれるようになったそうです。臥牛山というネーミング、なぜか全国に多いですね。
1998.11.21 官兵衛 さんより
備中松山城は山城ですが、中世のものとは時代が違い高石垣などがある近世のものです。臥牛山そのものは北から大松山、天神の丸、小松山、前山(下太鼓丸)という4つの峰からなっており、松山城は小松山(標高430m)を中心に築かれていて、天守閣のある城としては日本一高い場所にある城といわれています。誰が決めたか日本三大山城の一つ。
1998.12.18 武田屋 さんより
最後の城主は板倉氏。幕府の中枢に近い家だったため明治新政府が城の破却を求めたそうですが、高い山の上の城だったので「解体しました」とごまかしてそのまま放置してたそうです。そのため、このお城は解体を逃れて、今の偉容を誇っています。
2001.08.25 霧隠 さんより
備中松山城は「前山城・小松山城・天神山城・大松山城」の4つの山城をまとめて呼びます。せっかくですから、すべて回ると楽しさも倍増します。
特にオススメは、大松山城です!何がすごいかというと、とにかくハイキングに最適です。歩きやすく、よく整備された道は、雰囲気もよく、歩いていて楽しいし、自然の暖かさに触れる思いです。本丸跡がちょっと分かりにくいのと、何もないのは残念ですが、ここで引き返すのはもったいないです。さらに進むと跳ね橋があるのですが、ここを横目に左側の細い道を進むと、みごとな石垣が!あきらかに虎口(出入り口)とわかる作りで、保存状態も良好です。天守閣からは50分くらいかかりますが、石垣好き、土塁好きの方にはたまらない逸品です。ぜひ、ご堪能ください。また、高梁市の備中松山城に対する深い愛情もユーモアあふれる立て札や、近づくと自動的に音声を発する案内板(しかもかなり詳しい説明&絵入り)などから感じることができ、とっても居心地のいいお城だと思いました。
現在、天守閣の修復工事中(2002年完成予定)なので、天守閣には入れませんが、山城には珍しい「長塀」も一見の価値があります。山城にも建物があることだけでも充分目を驚かせてくれます。さらに、毛利家がつくった野面積みの高石垣も見所です。せっかくなので、3時間くらい余裕をもって、歩きまわるのも結構楽しいものです。高梁駅から自転車のレンタルサイクルもあるので、帰りを考えたら自転車もいいかもしれません。
さらに、古い城下町の雰囲気も残っているので、それをのんびり見るのも楽しいかも。お寺の名前を忘れましたが、毛利氏に滅ぼされた三村氏の親子の墓もあり、特に子供(たしか8歳くらい)の詠んだといわれる和歌は哀愁を誘います。時間があったらお参りしてみたらいかがでしょうか。
2001.08.25 霧隠 さんより
承久の乱の恩賞として、鎌倉の大庭氏が14世紀に入部したのがはじまりだそうです。当時は、現在の天守のある場所よりさらに奥に本丸があったそうです。こちらを現在では「大松山城」と呼び、現存12天守閣のひとつでもある天守がある場所を「小松山城」と呼びます。この小松山城(現備中松山城)は、毛利輝元が築いたお城で、石垣も毛利家のものだそうです。世に備中兵乱と呼ばれる戦があった際に、三村氏方のお城だったのを、毛利が攻めて落城させたそうです。その後は毛利氏のお城になった後、関が原の合戦後、毛利氏が防長二ヶ国に移封になった際に、いろいろな家が支配します。一時は、あの有名な「忠臣蔵」の主人公の大石蔵之助も城主代行として1年ほど滞在しています。ドラマでも大石があるお城の引き取りに行くシーンがあると思いますが、この備中松山城がそのお城なのです。ことのおこりは、例のごとく、城主に後継ぎがなく、後継者を決めてなかったということで、幕府に取り潰しの命令が出て、それに反抗した家臣の一部が、城に篭城してあわや徹底抗戦かと思われたときに、大石が説得にあたったということらしいです。
2006.05.23 氏綱 さんより
平成9年に五の平櫓、六の平櫓、門などが復元されました。この五の平櫓、天守と二重櫓とともに昭和3年ごろまでは現存していたのですが、自然倒壊してしまいました。昭和15年に天守と二重櫓の修復が行われたのでもう少しはやく修復していれば「現存」となれたのですが…しかし二重櫓の修理の際には五の平櫓の遺材を用いて行われました。
2014.08.26 ありがとう さんより
今とても心が荒んでいたので、この写真を見て心が洗われました…。昔の人は、このお城にどんな思いを馳せていたのかな…とか考えていたら、自分が感謝の心を忘れたちっっさい人間だと思えて涙が出てきました。いろいろ情報と美しい写真をありがとうございました。日本に生まれて良かった。日本人で良かった。
2015.11.01 高梁は僕の故郷ですよ さんより
高梁の近況、昔のことは、ウイキペディアで検索しています。詳しい情報を掲載しています。「備中松山城」で検索です。戦国時代の備中兵乱記、幕末の山田方谷、など詳細ですね。高梁が郷里です。昭和25年に上京、数年に一度の帰郷ですよ。戦時中の旧制中学生は、当時、山を開墾し、薩摩芋つくりです。臥牛山の麓で、松の根を堀り、松根油を集める作業も経験です。最近、雲海の備中松山城が人気ですね、ありがたい事です。
2016.04.10 城好きの匿名希望 さんより
日本三大山城の高さは、高取城(海抜583m、城下町から比高446m)、備中松山城(海抜430m、比高290m)、岩村城(海抜721m、比高150m)。
天守の高さは、現存12天守の中では最も低い。