写真:岡 泰行

三木城の歴史と見どころ

三木城(みきじょう)は播磨の三大勢力のひとつ、別所氏の城。「三木の干し殺し」と言われた秀吉との三木合戦で有名だ。三木城は、交通の要衝にあり、姫路道、明石道、兵庫道、有馬道、東條道と5つの街道が交差する位置にある。三木城の本丸は公園になっており散策自由。その構造は、兵陵の先端部に本丸(上の丸)があり、南西に曲輪が続き、南側に出城を築いた構えのお城だと理解しておこう。現在の三木城跡を歩くと明瞭に郭の境界線を示す遺構は無いが、上の丸公園が本丸跡で井戸や天守台跡、本丸西斜面(切岸)などがあり、三木市立中央図書館が二ノ丸跡となっている(二ノ丸からは籠城時に食料を入れた大甕が出土している)。本丸跡と雲龍寺には縄張図が掲載された解説板があるのでこれを参照して三木城の往時の姿を想像して歩くと良い。要するに、三木城のフィールドワークは、城の中止部の遺構少々と三木合戦の史跡めぐりが中心となる。

2022年12月、二の丸跡から枡形虎口の跡が見つかった。江戸時代初期の「播州三木古城図」をもとに調査されたもので、落城後の近世城への改修跡ではないかとされている。

本丸の見どころ

  • 長治辞世の辞世の句碑

    天守台跡に長治辞世の句碑

  • 三木城上の丸井戸

    上の丸井戸

  • 三木城上の丸切岸と模擬土塀

    上の丸切岸と模擬土塀

  • 三木城上の丸と西の丸を区切る堀切

    上の丸と西の丸を区切る堀切

三木城の撮影方法

三木城本丸跡にある天守台と、すぐ横にるある別所長治の石像は、東から望むため午前中の撮影が良い。また、城のロケーション、三木城の兵陵らしさを撮影するには、美嚢川(みのうがわ)の対岸の河原から撮影が良い。神戸電鉄が通るタイミングを狙ってみても風景として面白いかも。

  • 別所長治の石像

    別所長治の石像

  • 三木城と美嚢川

    三木城と美嚢川

三木城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る三木城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

三木城の関連史跡

現地に伝わるふたつの竹中半兵衛の墓

三木城に関わる歴史ストーリーで忘れてはならないのが、平井山の陣中で病死した竹中半兵衛の墓。地元の伝承により守られてきた2つの墓がある。平井山本陣跡に続く、ぶどう畑に土塀に囲まれた墓(三木市平井385)と、栄運寺の東側すぐの山間にある半兵衛の墓と馬塚だ(三木市志染町安福田)。

後者は、平井山から地続きの山で、徳川時代に豊臣系の墓が壊されることを恐れ、山中にもうひとつ墓を作ったという話も伝わるが今となっては正確なところは分からない。墓石には6月13日と命日が記されており竹中半兵衛を供養したものであることは間違いない。墓の右手には馬塚がある。前者の竹中半兵衛の墓と比べると、まるで人目を避けるように山中にあるその風情が歴史を感じる(詳しい場所は上記Googleマップ参照)。余談だが、竹中半兵衛の墓は、竹中陣屋菩提山城(岐阜県)の麓、禅幢寺にもある。

  • 三木市平井の竹中半兵衛の墓

    平井に伝わる墓

  • 三木市志染町安福田の竹中半兵衛の墓

    志染町安福田に伝わる墓

三木合戦の史跡

三木合戦の史跡が、三木城のまわりに点在している。別所長治公と照子夫人の首塚、平田山砦跡に谷大膳衛好の墓、八幡森史跡公園に淡河城(おうごじょう)城主の淡河弾正の墓、別所長治の首検分がされた寺で秀吉が三木城落城後に本陣とした本要寺、別所小八郎治定(長治の弟)の屋敷跡と伝わる正入寺など、歴史ストーリーを身近に感じられるという点では実に見どころの多いエリア。また、あまり知られていないが、常巌寺(三木市宿原1038)には、赤松円心の墓所がある。門前の「温故知新」の石碑の背面に、開基・赤松円心公墓所と記されている。もともと別所氏は、この地域(播磨)の守護だった赤松氏の一族。赤松円心の時代に、円心の弟を娘婿として迎え赤松氏とさらに深い繋がりができている。

中でも雲龍寺の「別所長治公と照子夫人の首塚」は、見ておきたい(三木市上の丸町9-4)。首実検の後、雲龍寺住職が長治夫妻の首を貰い受け埋葬したと伝わる首塚。首塚のすぐ左に別所長治辞世の句碑、さらに由緒碑があり、これが三木城の外堀の残石を使っているから同時にチェックしておこう。また、その雲龍寺駐車場の東側には広大な空堀跡(公園)もある(いずれも詳しい場所は上記Googleマップ参照)。

  • 別所長治公と照子夫人の首塚

    別所長治公と照子夫人の首塚

  • 由緒碑の三木城外堀残石

    由緒碑の三木城外堀残石

  • 谷大膳衛好の墓・平田山砦跡

    谷大膳衛好の墓・平田山砦跡

  • 谷大膳衛好の墓・平田山砦跡

    淡河弾正の墓・八幡森史跡公園

  • 三木城落城後秀吉本陣(本要寺)

    三木城落城後秀吉本陣

  • 赤松円心公墓所と石碑

    赤松円心公墓所と石碑

秀吉の平井本陣跡

平井本陣跡(平井山ノ上付城跡)三木合戦で秀吉が本陣を置いた場所が平井山で、平井山ノ上付城跡、または平井本陣跡という。干殺しは、天正6年(1578)8月から天正8年(1580)1月までかかり、秀吉の戦では最も長い戦となったという。この付城は、数多くの郭を持ち主郭部には土塁も見られる。現在、木々が生い茂っているため平井本陣跡から三木城が見える訳ではない。平井山ノ上付城跡は、三木市のWebサイトでその測量図(縄張図)が公開されている。

正入寺は三木城平山丸跡

三木城平山丸跡(正入寺)三木城の平山丸跡で、三木合戦で秀吉の本陣平井山に攻めかかり戦死した別所小八郎治定(長治の弟)の屋敷跡と伝わる場所。その地に建立された正入寺は慶長6年(1601)、三木城主となった姫路城主池田輝政の筆頭家老、伊木忠次(いぎただつぐ)ゆかりの菩提寺(三木城は姫路城の支城のひとつとなる)。境内には、池田信輝・輝政親子と伊木忠次・忠繁親子の位牌を祀り、墓地には姫路城主池田利隆、伊木忠繁と母の供養塔がある。2代当主、伊木忠繁は姫路城の普請奉行となり、今見る姫路城を完成させたことはあまり知られていない。

三木合戦の付城や出城

鷹ノ尾城付城や出城でいうと秀吉軍が三木城包囲のために作った30余りの付城群をめぐるのも良い。2012年現在20箇所が確認されている。整備されて見やすいのは明石道峯構付城。そのほか、別所側になるが三木城の出城、鷹ノ尾城。三木城から南へ1kmの三木勤労者体育センターを目指すと良い。城跡は整備されておらず土塁や堀などが明瞭に残されている。訪れて体育センター建物西側の土塁の圧巻のサイズに驚く。そのほか付城について詳しくは三木市のWebサイトで解説されている。

本町滑原遺跡出土石列遺構

本町滑原遺跡出土石列遺構滑原(なめら)商店街工事の際に出土した石列の石が屋外展示されている。三木合戦の焼土層の上から出土したため、秀吉もしくは池田輝政時代の家臣屋敷等の町割遺構の可能性が高いのだとか。上の丸稲荷神社への参道(鳥居)右側にある。商店街の中にあるため徒歩散策が良い。ちなみに参道から商店街に入ったすぐの地面を見て、黒いレンガで示されている場所が出土跡。余談だが滑原(なめら)商店街の道は、淡河城や淡河の宿場町も通る「湯の山街道」。湯の山とは有馬温泉(三木から約30km東にある)へ続く道という意味合いで秀吉も頻繁に往来した。

旧玉置家住宅

旧玉置家住宅ちょっと戦国時代から外れるが、旧玉置家住宅は一見の価値がある。文政9年(1826)に切手会所(銀行)として建てられ、明治になり玉置家が拝領し母屋以外を大々的に増築(つまり母屋は江戸時代の建築物)。趣向を凝らした匠の技が見られる町屋となっている。三木では豊かさを示す「うだつ」は町屋に少なく、屋根が弧を描く「うねり」がその証し。余談だが玉置家初代は、もとは別所氏の菩提寺である雲龍寺のご住職らしい。

三木城のアクセス・所在地

所在地

住所:兵庫県三木市上の丸町 [MAP] 県別一覧[兵庫県]

電話:0794-82-5060(みき歴史資料館)

開館時間

三木城跡は散策自由。

アクセス

鉄道利用

神戸電鉄、上の丸駅下車、徒歩3分。

マイカー利用

山陽自動車道、三木小野ICより南東約2km、三木市立図書館を目指す。

城ファンの気になるところ (9)

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    三木城に模擬塀が出来ました。羽柴秀吉が本陣を置いた寺などが近所にあり天下統一に近づく経過が感じられる城郭です。秀吉の中国攻め時、「兵糧攻め」として有名。軍師で有名な竹中半兵衛の墓が近くに有ります。

    ( 生友 正征)

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    車で城まで登るのは難しく迷いに迷った。一方通行や通行止めが多いので注意。金物資料館のそばの上の丸公園内に三木合戦の看板や塀が復元されている。他に別所長治の像や長治辞世の歌碑、抜け穴伝説のある「かんかん井戸」などがある。5月の第1日曜日には「別所公春まつり」が公園内で開催される。この城で一番有名なのは三木合戦。三木城に対して兵糧攻めを仕掛けてくる秀吉に対して三木城方は2年間篭城した。兵糧が尽きて降伏を申し出た城主別所長治は「今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命にかかわる 我が身と思えば」と辞世の歌を読んだ。

    ( 大崎貴之)

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    御着城(小寺氏)、英賀城(三木氏)と並び、三木城は播磨三大城といわれたそうな。

    ( 竹中半兵衛)

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    三木合戦で有名な、淡河城(おうごじょう)も同時に攻めるべし。三木城から東に約8kmの位置にある。道の駅「淡河」を目指すと良いぞ。

    ( 竹中半兵衛)

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    三木は、お城でもお世話になる、左官屋が使うコテの全国シェア8割を誇っているそうな。

    ( 竹中半兵衛)

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    三木城上の丸公園と、三木市立図書館の間の道路は、堀切跡。

    ( 竹中半兵衛)

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    三木城本丸跡には、残石と伝わる三木城に使われていた石材がごろごろと残っている。

    ( shirofan)

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    ながはるとよばれしこともいつわりよ25年の春もみすてて

    もう一つの別所長治公の辞世の句

    ( 城好きの匿名希望)

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    地元自治体の三木市は、15年ぶりに三木城跡の発掘調査を行うそうです。4年間で本丸、二ノ丸跡を発掘し史跡整備に生かす狙いなのだとか。

    ( カンダタ)

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