写真:岡 泰行

宇和島城の歴史と見どころ

宇和島城は、中世期にあった板島丸串城がその前身にあたる。この地にはそれまで、国人領主の拠点や小早川氏、戸田氏の支城があった。文禄4年(1595)、藤堂高虎は伊予国宇和郡に7万石で封じられると、領内を検分して板島丸串城を居城に定めた。翌、慶長元年(1596)から築城がはじまり、慶長6年(1601)には天守が完成している。城域は「空角の経始(あきかくのなわ/くうかくのけいし)」と呼ばれる不等辺五角形(一辺が450m〜800m)で北西部は海に面し、堀にも海水を取り入れた海城であった。

宇和海と宇和島城
宇和海と宇和島城

慶長13年(1608)、今治に転封となった高虎に代わり伊勢国から富田信高が入る。慶長18年(1613)に信高が改易されると、1年間の天領を経て慶長19年(1614)、伊達政宗の庶嫡子秀宗が10万石で入封した。このころ、宇和島城の名が付けられたと伝わる(板島を宇和島と改めたのは高虎とも言われるが、定着までに時間を要したようだ)。

二代藩主の宗利は寛文4年(1664)から約7年かけて、城の全体を改修した。現在残る天守も、このときに造られたものだ。その後、幾度かの修理を経て幕末を迎える。八代藩主の宗城は、松平春嶽(福井藩)、山内容堂(土佐藩)、島津斉彬(薩摩藩)とともに「幕末の四賢候」に数えられている。

宇和島城の井戸丸門虎口石垣
井戸丸門虎口石垣。登城路に面した石垣は一部で目地が通らず古き無骨さを感じるが、アクセントとなる石を設置するなど石工の心意気が見てとれる。

明治を迎え、櫓や城門には解体されたものも多かったが昭和9年(1934)、天守と追手門が国宝(当時)に指定されている。なお、追手門は戦災で焼失している。昭和24年(1949)、伊達家は城を宇和島市に寄贈。翌年施行された文化財保護法により、天守は国の重要文化財に指定された。昭和35年(1960)から1962年にかけて、天守の解体修理が行われている。

昭和2年(1927)、伊達家が旧城域である城山の植生保護を提唱。現在でも、クスやクロガネモチ、ヤブツバキ、モウソウチクなど450種以上の植物が自然なかたちで残っている。

宇和島城の特徴と構造

海抜約80mの最上部に本丸が置かれ、それを二の丸、藤兵衛丸、代右衛門丸、長門丸が囲んでいる。三の丸には伊達秀宗の時代、伏見城から移築された屋敷があった。延享年間(1744〜48年)に作られた「宇和島古図」では、17の門と33の櫓があったとされている。

井戸

宇和島城の井戸城山に残る直系2.4mの井戸。三の丸からの登城路で重要な防御施設となる井戸丸門や井戸丸矢倉があった曲輪、井戸丸にこの井戸がある。城内にはこのほか2カ所に井戸があった。

本丸一之御門跡

宇和島城本丸一之御門跡二ノ丸から見た本丸一之御門跡。両脇には櫓が達ち、石階段の上に一之御門があった。

新旧の石垣風景

宇和島城の新旧の石垣風景荒々しい戦国時代、藤堂高虎時代から伊達家代々の修築まで、石垣は多種多様。写真は上り立ち門から式部丸に至る石垣風景で古い時代に積まれた石垣と、奥に見える代右衛門丸の時代の新しい石垣が織りなす風景だ。城山を歩き積み方の異なる石垣を見て歩くだけでも時代の変遷が感じられる。

上り立ち門

宇和島城の上り立ち門上り立ち門は、搦手口にある現存の門で、豊後橋と搦手門を経て本丸へと続く道沿いに立っている。本瓦葺きの薬医門型式で、宇和島市有形文化財の指定を受けている。築造は藤堂期まで遡る可能性があるという。

藩老桑折氏武家長屋門

藩老桑折氏武家長屋門桑折氏武家長屋門は、三の丸から登る城山北登城口にある。元は家老の桑折氏屋敷にあった長屋門(宇和島市中央一丁目)を、ここに移築したもの。江戸中期のものと推定されている。移築時に間口が半分ほどに縮小された。すぐ近くに桑折小児科があり、もとの場所がそこなのかもしれない。なお、長屋門のすぐ左手に、三の丸御殿にあった「殿使いの井戸の手水」が残されている。

宇和島城の天守とは

本丸内に独立して築かれた三層三階の総塗り籠め造りの宇和島城天守。戦いのためというより権力を象徴するものとして造られており、城山の随所に残る戦国時代の城造りとは対称的に、幕藩体制が確立してからの築造で、極めて優美な姿をしている。その見るべきポイントを紹介する。

天守修理報告書がWebで閲覧できる

重要文化財宇和島城天守修理工事報告書なんと!『重要文化財宇和島城天守修理工事報告書』が、宇和島市のWebサイトで閲覧できるぞ。1962(昭和37)年発行でモノクロA4版114P。古本市場で1万円以上する。筆者は買ってしまった後だった(涙)。そのほか、本丸跡発掘調査説明会資料や上り立ち門修理工事説明会資料、代右衛門丸跡石垣崩落現場説明会資料などもWeb公開されている。

宇和島城の関連書籍

-宇和島市制70周年記念-『国指定文化財 宇和島城』(1992(平成4)年発行/フルカラーB5版/35ページ/700円)、
『宇和島城整備計画書』(1996(平成6)年発行/モノクロ一部カラーA4版/115ページ/1,000円)など。これら宇和島城に関する書籍は、上記の宇和島市Webサイトで購入申し込みができる。

宇和島城の散策コース

宇和島城は平山城。登城時の注意点として、城山へ麓の門が開門していないと城山に入ることができない。また、逆に夕暮れやライトアップを本丸でと思っていても、閉門してしまうと城山から出ることができないので注意が必要だ。開館時間はアクセスの項を参照されたし。

宇和島城の撮影方法

宇和島城と宇和海宇和島城の麓から東南へ徒歩約20分(1.5km)に、愛宕公園展望台があり、宇和島城天守と宇和島湾(宇和海)の眺望が得られる。なお、愛宕公園には駐車場が無いため、城山からは徒歩でのアクセスが良い。

また、城内からのライトアップ撮影は時間に注意して。ライトアップは日没から22時までだが、閉門時間は早い(17:00〜18:30・季節によって異なる)ので注意。要するに、城山から出られる門が閉まってしまうので、早めの下山を。

宇和島城の写真集

城郭カメラマン撮影の写真で探る宇和島城の魅力と見どころ「お城めぐりFAN LIBRARY」はこちらから。

宇和島城の関連史跡

天赦園

天赦園宇和島城下に「天赦園(てんしゃえん)」という庭園がある。宇和島藩7代藩主、伊達宗紀(むねただ・号は春山)が隠居後に作庭した池泉回遊式の大名庭園だ。「天赦」の名称は、伊達政宗が詠んだ漢詩「酔余口号」の一節「残躯天所赦」から。整備も行き届き庭の趣が良い。庭園西にあるソテツ山を西国浄土とみたて、そこにかかる藤の橋がある。通常、フジは下に垂れ下がるように咲くが、ここは上に白い花を咲かせ道ができるかのような景観になる。フジの見頃は、4月上旬(2週間ほど)。宇和島の桜は例年3月下旬頃に咲くのだとか。現在、伊達博物館のあるところが殿様の居宅跡で、天赦園はその敷地にあたり、ゆえに、このあたりを御殿町という。この時からあったであろう樹齢400年はあろうかという巨木の楠が園内に何本か見られるが、天赦園はそれまであった木々を生かし造園されていることがわかる。昔はきっと園内から宇和島城の天守が見えたに違いなく、その風景や木々を想像しながら回遊するとその時間が蘇るようだ。1968(昭和43)年、国の名勝に指定されている。宇和島市天赦公園は8:30〜16:30(4〜6月は17:00まで)、12月第2月曜日〜2月末の月曜と年末年始は休園。無料駐車場有り。庭園内には宇和島城追手門の礎石も残る。

追手門跡

宇和島城追手門跡の石碑城山の北東に、追手門跡がある。宇和島城の追手門は、十万石には過ぎた門と言われ、かなりの規模だったらしい。昭和20年に惜しくも空襲で焼失。石垣に使われていたであろう巨石が「国宝追手門旧跡」と刻まれ市街地に残る。なお、天赦園には追手門のかずら石が屋外展示されている。

樺崎砲台

樺崎砲台愛媛県宇和島市住吉町2丁目。日本近海に現れはじめた外国船対策として1855(安政2)年、オランダ流砲術を取り入れて築かれた砲台跡。36ポンドカノン砲5門を備えていたという。宇和島市歴史資料館に隣接している。

宇和島市歴史資料館

愛媛県宇和島市住吉町2丁目4-36。9:00〜17:00、毎週月曜は休館(祝日の場合は翌日休)、12/29〜1/3も休館、入場無料。無料駐車場有り。
1884(明治17)年に宇和島警察署として建てられた建物を使った資料館。同建物は、1953(昭和28)年から1990(平成2)年、まで南宇和郡西海町(現在の愛南町)に移築され、町役場として使用されていたが、宇和島市内に再移築された。建物は、建築工匠が西洋建築を学んで建てた、いわゆる「擬洋風建築」。

宇和島市立伊達博物館

愛媛県宇和島市御殿町9-14。9:00〜17:00(入館は16:30まで)毎週月曜休(祝日の場合は翌日休)。年末年始も休館、無料駐車場有り。
伊達家に伝わる文化遺産を収蔵・展示するため1972(昭和47)年、市制50周年を記念して旧浜御殿跡に建てられた。国の重要文化財に指定されている豊臣秀吉画像(大型連休を中心に期間限定で展示あり・要問い合わせ)をはじめ、甲冑や大名駕籠、書画や古文書などを収蔵。江戸中期の池泉回遊式大名庭園、「偕楽園」の一部が残っている。

吉田ふれあい国安の郷

愛媛県宇和島市吉田町鶴間1503。9:00〜17:00、12月31日、1月1日は休業、無料駐車場有り。
1657(明暦3)年、伊達氏初代、秀宗の5男・宗純が3万石の分知を受け立藩した伊予吉田藩。「吉田ふれあい国安の郷」は、その街並を再現したもの。

金剛山大隆寺

愛媛県宇和島市宇和津町1丁目3-1。9:00〜17:00、無休。1608(慶長13)年ごろ、当時の宇和島藩主、富田信高が亡父、知信を弔うために建立した。伊達氏初代秀宗正室の亀姫、5代村候、7代宗紀、9代宗徳の墓所もある。

近隣の主要な城

伊予松山城湯築城(以上、松山市)、大洲城(大洲市)、今治城能島城(以上、今治市)、川之江城(四国中央市)、西条陣屋(西条市)など。

宇和島城のおすすめ旅グルメ

宇和島鯛めし

宇和島鯛めし宇和島の「鯛めし」は漁師飯だ。鯛の刺し身をタレにまぶし、ご飯の上に載せて食す丼ぶり飯で別名「ひゅうが飯」とも言う。日振島を根城にしていた伊予水軍がはじめたという。愛媛県の東予・中予地方では鯛の炊き込みご飯を「鯛めし」というが、それとは全く異なる代物だ。また、大分県の郷土料理あつめし(りゅうきゅう丼・ひゅうが丼)にも似ているため、豊後水道をはさんで何らかの交流があったものと推察されているのだとか。農林水産省の「郷土料理百選」にも登録されている。この地まで来れば一度は食しておくと良い。

じゃこ天

田中蒲鉾店城山のすぐ東側に、田中蒲鉾店がある。その場で揚げるじゃこ天は、伝統の製法。魚の風味もよく、小骨も食感として感じられる気持ちよさで他の追随を許さない。これを食さずしてこの地を離れるなかれ。

温泉狙いなら

温泉なら「道の駅津島やすらぎの里」露天風呂付きの立ち寄り湯のある道の駅。宇和島城からは30分ほど離れているが、レストランや産直市場も併設されているので、ドライブ途中に汗を流したり腹ごしらえをするのもおすすめ(愛媛県宇和島市津島町高田甲830-1)毎月第1・3月曜日は定休日(祝日の場合は翌日休)。

宇和島城の史跡めぐりにこだわる最適なホテル

ホテルから宇和島城天守を望む

宇和島第一ホテルからの眺め宇和島城を望むなら「宇和島第一ホテル」の最上階お城側シングル!反対側の部屋ではもちろん見えないので、予約の際には確認が必要だ。636号室あたりが狙い目か。そのほか、宇和島ターミナルホテル、宇和島オリエンタルホテルなど。現存天守で四国にある四城中、最も交通の便の悪いここまできたのなら最低一泊二日の覚悟を決めるべき。

宇和島城のアクセス・所在地

所在地

住所:愛媛県宇和島市丸之内1-127 [MAP] 県別一覧[愛媛県]

電話:0895-22-2832(宇和島城天守)

開館時間

開門

3月〜10月 6:00〜18:30、11月〜2月 6:00〜17:00

天守

3月〜10月 9:00〜17:00、11月〜2月 9:00〜16:00

郷土館

3月〜10月 9:00〜17:00、11月〜2月 9:00〜16:00
天守入城料200円、年中無休(2020年1月現在)。

アクセス

鉄道利用

JR予讃線宇和島駅から徒歩で10分で城山登山口。または、宇和島バス1番乗り場乗車3分、「南予文化会館前」または「宇和島バスセンター」降車、徒歩2分で城山登山口。宇和島城山登山口から天守まで石垣や曲輪などを見ながら徒歩15分。

マイカー利用

松山自動車道宇和島北IC経由で宇和島道路、宇和島朝日ICで降りて5分。城山下駐車場(有料)有り。余談ながら、城山下駐車場は三の丸に位置する。今後、史跡整備されるという話がある。

城ファンの気になるところ (7)

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    伊達家は仙台から風土も宇和島に持ち込んだ。西日本は円餅が一般的だが、宇和島は仙台と同じく角餅が多いらしい。

    ( 城好き匿名希望)

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    「空角の経始」といわれる五角形の外堀は道路に変わり、高虎会心の縄張りも航空写真で確認できるばかり。しかし、大手口の長屋門(移築)をくぐると、苔むした石段が本丸へと続いており、雑草に被われた城山には荘厳さが漂う。三の門跡から本丸石垣越に天守大棟がのぞくとき、登山(標高80m)による息切れが驚嘆の溜息に変わる。

    ( 城山神々)

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    式台付の独立式三層層塔型天守は、破風、長押等の装飾が的を得ており、丸亀城天守と同様上品かつ風格がある。小さく見られがちだが、天守台天端から鯱上端までの高さは現存12天守中7番目で松山城天守よりも高い。天守内には障子が入り、武者走り以外に、狭間、石落などの防御設備は無い。

    ( 城山神々)

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    四国には四つの現存天守がありますが、松山・高知の遺構の多さに劣らぬだけの魅力が、宇和島・丸亀の城にはあります。四国に行くなら、この四城すべての訪問をお勧めします。ことに、宇和島は雑草の生い茂る夏場に限ります。

    ( 城山神々)

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    宇和島は不思議なまち。いつのまにか方向感覚が狂う。それが高虎の縄張りに惑わされたものと知り驚愕。

    ( 神之倉俊)

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    宇和島城に残る城門は、山の西側にある「上り(のぼり)立ち門」と東側にある「藩老桑折氏武家長屋門」のみ。

    ( 半兵衛)

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    天守の窓は、屋根のメンテナンス用に、当時から格子が一部、外れるように工夫されている。こちらでも紹介しています。

    ( shirofan)

城の情報

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