松江城
松江城は、亀田山(末次城趾)の最長部に本丸が置かれ、天守は曲輪の北東部に独立して築かれている。本丸の南に二の丸、東側に二の丸下の段、堀の南側には三の丸(現在の島根県庁)があったほか、小規模の曲輪や出丸(上御殿)などで構成されていた。縄張りづくりは、当時吉晴に仕えていたとされる小瀬甫庵(「信長期」「太閤記」の作者)が手がけたと伝わる。

松江城天守

現存12天守のひとつである松江城天守は5重5階に地下1階(国宝登録上は4重5階)で、入母屋造の大屋根の上に望楼を載せた、後期望楼型の造りになっている。附櫓の入り口から入る地階は、中央に井戸があった。築城にあたっては、月山富田城の部材も使われたという。天守内部は建物を下から上まで貫く「心柱」ではなく、二階分ずつの通し柱を何本も立て、建物を支えている。また、多くの柱にはかすがいで留められた厚い木の板に包まれており、さらにその上から帯鉄によって締めつけられている。この「包み板」も、松江城を特徴づけている。

松江城天守内部

なお、「出雲国松江城絵図(正保城絵図)」や「出雲御本丸図」に、千鳥破風、唐破風のある層塔形天守が描かれていることから、築城当時の天守は今の姿と違い18世紀後半の修理で今の形になったという説もある。

天守台の石垣は、粗く割られた石を平らな面を表にして積み上げ、間に小さい石を詰めた打込接ぎの構造になっており、堀尾時代のものとされている。天守を囲む本丸には6つの櫓があり、瓦塀のあった一部を除いて多門櫓でつながっていた。現在は本丸石垣や櫓台跡が残っている。

外曲輪西側や二の丸手前の高石垣は加工の施された切込接ぎの石垣が見られ、時代の違いを感じさせる。また、一ノ門跡には鏡石で大きな石が使われている。

(文:mario 写真:岡 泰行)

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