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三成派(1037票) 家康派(534票) |
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1位 大谷吉継(174票) 2位 島津義弘(110票) 3位 真田幸村(102票) 4位 島左近(90票) 5位 小早川秀秋(82票) |
家康派 三成の「義」を貫こうとする姿勢はあっぱれであるが、三成では戦乱の世を終わらせて天下泰平は期待できない。やはり、家康の武力、政治力とカリスマ性が必要。
福島正則 最も秀吉の恩義を感じ、秀頼に仕えようと考えて家康に就いたことを後悔する姿が気になりる。
家康派 何だかんだ言って家康はスゴイ!目立ったヘマしてない。ヘマしたとしても修正できたから天下を取れた。
藤堂高虎 生まれも育ちも良くない上に何の後ろ盾もない中で出世するための努力を重ねてきて雑草を地で行った人物。主君を何回も変えたから軽薄な人物に見られるが、上司に恵まれなかった可愛そうな人物でもある。若い頃の苦労は高齢になってやっと報われる大器晩成と言って間違えない。築城の名人の名高い。藤堂家の家訓は今でも十分通用する。先の見えない時代は高虎のような人物でなければ大成しないと思う。大河ドラマの主役にしたら見方が変わるかもしれない。
三成派 民衆などをなめるほどの可愛がり具合でとにかく弱い者の味方だから。
島左近 石田三成の破格でもない石高にでも三成の自分の石高の3分の1を与えたらそこに心をうたれ三成に仕えたところ。
家康派 石田方は烏合の衆の如し。勝っても天下を束ねるは難し。安国寺、直江らの陰謀家に踊らされ毛利や上杉の増長を招くのみ。徳川方は統制がとれ実によい。しかし、石田三成はその立場からするとよくもここまで戦ったと称賛に値する。
藤堂高虎 早くから家康につき、その参謀として活躍し、天下の安寧の立役者だと考えている。築城の名手でもあり、魅力的な人物だ。
三成派 三成のまっすぐでさわやかな生き方は、時として正しくはないかもしれないが、美しいことだけは確かだ。家康は武田勝頼との戦いで大変卑怯であった。家康には人望があり、家臣を大切にしたというが、彼のとった行動・態度を考えるとお世辞にもそのようには思えない。結果的には成功しているのかもしれないが、感銘できる生き方ではない。
平塚為広 逸話がほとんど残されておらず、謎の多い武将であるが、大谷吉継が無二の信頼を置いていたことから、すばらしい武将であったことは間違いないでしょう。
家康派 三成が勝ったとしても秀頼がしっかりしない限り、豊臣家には任せられないと思ったから。
小早川秀秋 そんなことをしっかり見極めたのはたとえ裏切ったとしても先見の明に優れていたからであって、決して凡将ではないと思うから。
三成派 義の人が多いから。 そして家康が狸じじいだから。不器用な石田三成が良いと思う。
平塚為広 大谷吉継も大好きですが、平塚為広の死に様が格好いいから。また、大谷吉継との辞世の句のやりとりも格好いい。
家康派 前は秀吉のほうが好きだったんだけどね、家康って信長や秀吉と比べるとそれほど才能があったわけではないし、結構苦労もしてるから、家康の「人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し」というセリフで好きになりました。
松野重元 寝返るのを嫌い戦小早川軍から離脱した、周りと違う行動をとるのは容易にはできないことだと思う。
三成派 時代が家康へと移ろう中で、秀吉から受けた恩を忘れずに忠義を尽くそうとしたその心意気に感服しました。
真田昌幸
慶長上田合戦で、約十倍にもなる秀忠の軍を父親譲りの知略で思いのままに翻弄したこと…ですかね。
この戦が始まる前、無駄な戦だと考えた秀忠は昌幸に帰順勧告をしたそうですが、その返事を先延ばしにして、ようやく昌幸が送った答えも好きです。
確かこんな感じです↓
「返答を先延ばしにしていたのは篭城準備のため。十分に仕度はできたのでお相手つかまつろう。」
返事を待たされたうえにこんな大胆な宣戦布告をされた秀忠は激怒して上田城総攻撃の下知を下したそうですが、もうこの段階から秀忠は昌幸の術中に嵌っていたんだと思います。