|
三成派(1031票)
家康派(530票)
|
|
1位 大谷吉継(172票)
2位 島津義弘(107票)
3位 真田幸村(101票)
4位 島左近(90票)
5位 小早川秀秋(82票)
|
。 さんからのご投稿(2011.07.26)
家康派
家康は偉大な人物!あと、個人的に家康が好きだからです。
伊達政宗
政宗も好きだからです。もう少し早く生まれてたら天下統一をしてたかも。
真田 伊達 前田 LoVE さんからのご投稿(2011.07.25)
家康派
幸村様が、三成派なんだけど伊達様&前田様が家康派なのとー三成がきらいだから。
それに信之(メッチャかっこいい)が家康派(小松姫の夫だら)。でも正直いって、この決断はむずかしかった、幸村がかっこいいもーん。
真田幸村
LoVE だから
あい さんからのご投稿(2011.07.25)
家康派
家康がいいから〜
江を見ていると、、、三成きらいにる…。
宮本武蔵
ラテ さんからのご投稿(2011.07.22)
家康派
三成がきらいだから。
伊達政宗
かっこいいから。
さまのすけ さんからのご投稿(2011.07.20)
家康派
天下泰平をもたらしたご本人様だから。静岡県民は家康サマです。
井伊直政
家康公の大抜擢をうけた若武者だから。叶うものならお会いして杯を交わして話したい。
天野信政 さんからのご投稿(2011.07.18)
三成派
家康がうざい、雑魚、馬鹿みたい。
蒲生郷舎
分からないが、好き。
亀 さんからのご投稿(2011.07.18)
三成派
大谷吉継とか宇喜多秀家とかいるし、家康嫌い。
宇喜多秀家
若いのに頑張ったから。
みっふぃ さんからのご投稿(2011.06.30)
家康派
三成は補佐としては立派だが上に立てるような人間ではないから。部下の意見を素直に聞いてれば結果は変わったのかもしれない。
加藤清正
高い忠誠心と戦が強いこと、築城させたら日本一。なんでもできる器用な人のイメージがある。
みのり さんからのご投稿(2011.06.25)
家康派
義に厚く武士らしい幸村、三成も好きですが、後世などを真剣に考えたら家康に味方しちゃいますね…。確かに狸じじいですが、真田の家も残したし…彼なりに義もあったんだろうなと。
真田幸村
生き方がかっこいい!こういう人が親だったり上司だったら、人生変わりそうです…。
歴史マニア さんからのご投稿(2011.06.19)
家康派
豊臣政権は秀吉だけのもの。ながつづきしないなあ、とおもうから。
細川忠興
三成に、奥さんのガラシャを殺されたので、可哀想だなあ。と思うから。
なお さんからのご投稿(2011.06.14)
家康派
戦国武将としての家康派。壮絶すぎる人生、石田さんでは敵わない。
島津義弘
鬼島津。
温泉 さんからのご投稿(2011.06.14)
家康派
三成が、嫌い。秀吉の力を、自分の力と勘違いしたうつけ。先見性の無さ、豊臣派の武将を徳川に追いやった張本人。
島左近
貴方が、ついていながら、なぜ戦まですすめたのか?
温泉猿 さんからのご投稿(2011.06.14)
家康派
秀吉の力を自分の力と勘違いしていた、三成の傲慢さが大嫌い。豊臣派の多くの武将を徳川に追いやって豊臣を潰した極悪人。高台院程の先見性もなく自分の欲だけの人。
細川藤孝
ekobakabon さんからのご投稿(2011.06.09)
三成派
理に勝る。
長宗我部盛親
なぜ、徳川の命に従い上洛したのか。島津のように無視を決めれば良かったのに…。
ゆい さんからのご投稿(2011.06.08)
三成派
大一大万大吉という言葉が好きです。
真田幸村
日の本一の兵!
みっつん さんからのご投稿(2011.06.06)
三成派
知的で冷静な判断ができるから。吉継や、左近などに家康暗殺をすすめられたが三成は正々堂々と戦いたいと言い家康暗殺は実行しなかったから。義のために生きている。関ヶ原で負けたが斬首される最後の最後まで生きようとしていたから(生きようとしていた)もし、小早川が裏切らなかったり、島津がちゃんと動いていたり立花が関ヶ原の地に遅れなかったりしたら逆転して西軍が勝ったかもしれない。
大谷吉継
サンフレッチェ さんからのご投稿(2011.06.05)
三成派
別にどっちでもいいんだけど。
島津義弘
鬼島津恐るべし……!
本多平八郎家忠 さんからのご投稿(2011.05.30)
家康派
本多忠勝の子孫だから。
本多忠勝
先祖だから。
あいな さんからのご投稿(2011.05.26)
三成派
三成は、知的で冷静なはんだんができるから。
三成はなにもかもすきです。
直江兼続
義と愛にあつい、とてもいい人だから。
おくろ さんからのご投稿(2011.05.22)
家康派
味方をうまく使うことが出来ずに敗れた三成より、敵味方の両方をうまく使いきって戦いに勝利した家康のほうがいいに決まっている。
真田信之
西軍に付いた父と弟の助命のために自分の加増を断った信之こそ真の義将である。そして、再び弟が大阪方につき幕府から相当目を付けられていたに違いないのに、最後まで我慢し真田家松代藩を残したことは尊敬に値する。まさに真田幸隆、昌幸に連なる名将にして名君の器である。