どっちだ関ヶ原 戦国武将アンケート(301〜400件目)
全国の城ファンが投稿した「関ヶ原の合戦では家康派か三成派か」、そして「気になる武将とその理由」をまとめたアーカイブです。現在は新規投稿を終了していますが、当時の声から戦国武将の魅力や印象、評価の移ろいを読み取ることができます。
どちら派
最後の英雄☆
気になる武将
最強
どちら派
辛抱強いところ。本とか拝見すると・・本当は、ものすごく優しい人だったんじゃないかなって感じるから。
気になる武将
その強い家康を押さえた利家の子だから。利長-利常のラインは不動の家系。家康と言えども、勝てないから。
どちら派
老いてもなお天下人への夢を捨てなかった心意気がよい。家臣たちが天下人になるよう仕向けたという話もあるが…。高齢にして子供も生まれたしさぞかしタフなご老人であったのだろう。
気になる武将
正宗公の生き様は小学生の頃の心の支えでしたゆえ。
どちら派
豊臣家の為に最後まで尽くした人だから!
気になる武将
若いのに全てを賭けて戦ったところが魅力。
どちら派
性格は暗いけど最後まで「義」に殉じたから・・・。
気になる武将
朝鮮の戦役で苦労はしたであろうが、感情に溺れて東側について不義を働いたかどで最後は家をつぶした。Look at the ma!ざまみろ!ってんだ。
どちら派
ご先祖様がいるから
気になる武将
強いから
どちら派
家康が気に入らん
気になる武将
決死の戦術に感動した
どちら派
たぬきはきらいじゃ~!
気になる武将
関ヶ原においての敵中突破!その他、内外における数々の武勇・・・心に沁入っておりもす。同じ九州人として誇りに思うちょります!
どちら派
我慢強い総大将軍だから
気になる武将
独眼竜というのがかっこいい!?が大名を裏切ったとうのを聞いたとき少し虚しかったがっ!!騎馬鉄砲隊も結構いけるんじゃないかなぁと思ったから
どちら派
最後まで豊臣の味方をしたから
気になる武将
家康を挑発したから
どちら派
自分が三成の子孫だから。昔から両親たちに「我が家の家紋は三成と同じよ」と言われてきました。
気になる武将
石田三成の相棒だから。それに病気の身でありながら親友を手助けしたという心情に感動したから。
どちら派
要するに勝てば官軍、ということですな。汚い手を使っても勝ちさえすればいいんだ、という家康の生き方はもっと知られるべきだし、コーエーをはじめ、家康を美しく描こうとする悪しき慣習は見直すべきだと思う。
気になる武将
邪心がない。
どちら派
やっぱり;徳川2代将軍もいるから井伊大老、もいるからね!
気になる武将
やっぱり私たちの先祖は伊達だからね
どちら派
三成が嫌いだから。
気になる武将
どちら派
義理を守る人だから。
気になる武将
武勇を尊敬しているから。
どちら派
家康は忠義という心を知らんから。
気になる武将
上杉謙信の養子だから。
どちら派
家康はタヌキだから。
気になる武将
三成を裏切ったから・・・。
どちら派
義理人情!!なんだかんだいって、あそこまで主人に忠誠を尽くした人間はおらん!!歴史上では悪く言われているが、そんなんぜったいありえん。わしの尊敬する「直江”山城ノ守”兼続」とも莫逆の友だし。
気になる武将
大阪の陣をみてみいや~!!
どちら派
家康は信長に言われ、自分の子供ですら切腹させてしまう、親なら自分の子供を守れ。しかも嘘が多く、手口が卑怯!前田利家も貴様が毒殺したに違い無い?家臣にもっと褒美やれ!ケチな性格も気に入らん。
気になる武将
さすが真田丸、今の企業でもなかなか差別化は難しい、固定観念に拘らず、新しいことに根拠を持って取り組み成果を上げるところが渋い!さすが日本一の兵、現代においてあなたのような社長が存在すれば、ぜひ下で働きたい!!
どちら派
彼は自らを犠牲にしてまで豊臣のお家を守ろうとした男の中の男だから。今の世に欠けている道徳心を持ち合わせていたから。
気になる武将
彼の天下になっていたら、日本はもっと発展したかもしれない・・・・・そうでもないかな。
どちら派
たいした武功もなく、国力もない弱小の身で、家康と対抗するだけの、企画を立案し、実行した能力は凄い。もう少し、人望があれば・・・
気になる武将
もし、仮に薩摩本国で内乱が起こらず、関ヶ原に全兵力を投入できていたとし、それでも尚且つ彼が西軍に組みしたとしたら、毛利が動かなかろうが小早川が裏切ろうが、西軍が勝っていただろう。
どちら派
司馬遼太郎の関ヶ原を読んだ為、どうしても家康だけは好きになれない。みっちゃん&左近、最高!!佐和山城、みたかつたのに・・・。
気になる武将
義。更に男気を感じた!喧嘩っぷりも見事!!
どちら派
判官贔屓の日本で珍しく人気ないから。
気になる武将
この人なりにがんばったと思うから。
どちら派
光成、左近、吉継、達の男に惚れました。
気になる武将
敗北を感じていながら親、兄弟すら信じられない世の中で親友のために散った名将
どちら派
武田と干戈を交え、信長と共に戦い、秀吉ですらその勢力を削ぐ事が出来なかった。歴戦の勇者家康に、三成ごときが戦仕掛ける事自体笑止である。
気になる武将
時代の趨勢を見極めるに長けている。如水の野心はやがて身を滅ぼしたであろう。
どちら派
NHK大河ドラマ「利家とまつ」で、笑い方がすきだから。あと、三成が嫌いだから。
気になる武将
忠臣者だから。囮役を自らかってでるなんてかっこいい!
どちら派
長いものには巻かれろ!
気になる武将
ホントに参戦したんですか??
どちら派
単に家康が嫌いだから。三成も好きにはなれないが、自分の天下取りしか頭のない家康よりも、忠義を尽くした秀吉のために戦った三成の方がまだ、武士らしい。
気になる武将
勝敗関係なく、自分の武勇を見せしめるために戦った幸村はかっこいいと思う。
どちら派
家康が有名だから
気になる武将
どちら派
やっぱり小早川が、裏切ったからじゃなくて家康の方が、強かった。
気になる武将
どちら派
家康は、ひとじちでもめげず、がまんずよく、頭をよくつかい、戦でもほとんどに勝ち、最後には、天下統一したから。
気になる武将
どちら派
三成も嫌いだけど、家康はもっと嫌いだからッス
気になる武将
もし薩摩から兵がたくさん来ていたら・・・・
どちら派
人質から人質へと、がまん強く生き、頭も良く、三成の軍も、裏切りもあるほど、家康は、すばらしい人だから。
気になる武将
かっこいいから。
どちら派
外国人の俺からみると、やり方や個人能力はともかく三成は理想と信念のともで、関ヶ原で家康と対決したと思います。それに対して、家康はただの欲張り屋さんに過ぎないと思います。
気になる武将
史上未聞の脱出劇を演じた島津系に敬礼!!!多分世界史に載せてあるすべての戦いにおいてもその脱出劇は一番すごいでしょう。P.s.小早川はくずです!!!
どちら派
家康が勝ち、めぐりめぐって今の日本、そしてここに生きる自分自身が、現にあるから。
気になる武将
来年の大河ドラマの主人公。 関ヶ原のときはまだ16~17歳だったと思うが、ホントに宇喜多軍の中にいたのだろうか? それと、12/8付、おおたサンへ 私も家康を尊敬しておりますが、三成も立派だと思いますよ。 家康が戦国の世に終止符を打ち、太平の世を築いた日本史上最大の功労者であるにもかかわらず「陰険な狸爺」呼ばわりされ、大多数の日本人にいまいち評判が悪いのはなぜか・・・。 それは、太閤死後、互いに知恵を振り絞った凄まじい駆け引きの末、覇を賭けて争った相手・石田三成に対する日本人の評価があまりにも低すぎるという遺憾な現状があるからです。 日本史上最大の雌雄を賭けた決戦が、「キツネとタヌキの化かしあい」程度に矮小化されてはなりません。 三成が勇将であることは紛れもない事実。三成があたりまえに立派に評価されてこそ、家康も多くの日本人から正しい評価を受けると思うのですが・・・。
どちら派
もうすぐ12/14だが、徳川の天下になったからこそ、オレの好きな「忠臣蔵」もあったから。 ただ、吉良上野介を主人公にしたドラマもあっていいと思う、いや、早急にドラマ化すべし。
気になる武将
勝敗のポイントは、やはりこの人。 南宮山部隊が家康本陣に突入していたら、秀秋も東軍を攻めていただろう。 「おおた」という人は三成をメチャクチャに酷評していて、徳川びいきのオレとしても思わず気分がわるくなった。 しかしこれは「おおた」サンが悪いのではなく、これまでの時代小説、時代劇ドラマ、歴史家たちが三成像をねじまげて描いてきたことが悪いのだと思う。 あれだけ「虎の威を借りて、秀吉在世中に敵という敵を作りまくった戦下手の横柄な官僚・三成」というイメージをメディアや本で洗脳されたら、誰だって「三成憎し」になってしまうし、おおた氏の言われる通り「関ヶ原は、三成の自己保身」という誤った結論に行き着いてしまうのは無理もなく、かく言うオレ自身も恥ずかしながら、そうだった。 もっと歴史を純粋に見よう! 「三成には人望がなかった。」という決まり文句はまさに結果論でしかない。人望もなく敵を作りまくった人間が、自分のせいで豊臣家中を真っ二つにしかねない、それによって主家を没落に追い込みかねない挙兵をするだろうか? 三成は「敗れた」こと、つまり結果ばかりによって、その人間性まで悪し様に言われているが、「敗れる」まえに、巨大な家康を向こうに回して、勇敢にも「挙兵し」ている事実が、ないがしろにされている。 三成はわが国の歴史の中でも稀有な英傑であることは誰の目にも明らかなはずである。三成を、現在の官僚になぞらえ、「無用の輩」とのたまうなど言語道断。 戦国武将の中で、現在の道徳のすたれた日本に喝を入れてくれるリーダー・総理大臣に最もふさわしいのは石田三成の他になし。 小泉さんより100倍イイと思う。 現官房長官の父親・福田赳夫が総理のとき、北朝鮮による拉致事件が集中したことが明らかになったが、この時、三成が総理だったら、日本人を1人たりとも誘拐されてしまうようなことは断固阻止していたと思う。
どちら派
豊臣秀吉、前田利家亡き後、天下のための天下を治めるのに最も相応しい武将は、家康殿を措いて他はないのではないでしょうか。人望、実力において、彼を上回る人物はおらず、仮に三成殿が天下の権を握ったとしても、家康殿ほど早く、着実に天下泰平の世を実現することはできなかったでしょう。
気になる武将
貴殿は、秀忠公遅参の責任を取るかたちで、自ら水戸25万石を辞退し、旧領館林10万石に甘んじたそうですが、死に際して、何故家康公の見舞いの使者に対し、あのような態度を御取りになったのですか?辞退したこと自体を、後になってからでも評価してもらいたかったことが、存命中に叶わなかったからなのでしょうか?
どちら派
みつなりがかっていればtradeちゅうしんのmonetary economyが17th centuryにcompleteしていたようなきがします。いえやすがかってしまったのでagricultureちゅうしんのsocietyができてしまいこのことがにほんのはってんをおくらせてしまいましたね。いえやすはぐんじんとしてはexcellentでしたがstatesmanではありませんね。
気になる武将
みつなりがいえやすとたたかうことができたのはかれのgovernanceがあったからですね。
どちら派
三成は秀吉の遺言を守り、秀頼を盛り立てようとした忠義ものだから。わずか佐和山数十万石の彼が関八州に250万石の憎き家康を除こうとした勇気ある武将だから。悔しいのは秀吉が一番頼みにしていた利家と家康なのに遺言をないがしろにし徳川が豊臣から簒奪したのは日本史の汚点である。もし利家が関ヶ原まで存命であって秀頼を西軍の旗頭にしていれば家康は謀反者だったはずだ。豊臣時代が長く続いていれば日本の近代化は欧米諸国と同時期で明治維新に無理に拡張政策をせずひいては第二次世界大戦の敗戦国にもならなかったはずだ。
気になる武将
関ヶ原の敗戦後、九度山に蟄居するも豊臣のため大阪の陣まで家康を追い詰めたから。
どちら派
ってゆーか、家康は好きじゃないけどー。本多忠勝大スキー!!!
気になる武将
最高・最強・ナンバー1
どちら派
忠義心厚く、夢・理想を持って行動し、義に殉じ最後まで希望を捨てず生涯を閉じた。徳川時代にその人物像を歪められたが、島左近・蒲生郷舎等多数の有能な家臣が最後までついてきたぐらい魅力的な人物だったと思う。
気になる武将
全力で戦い抜き、徳川三代まで長生きし、幕府に媚びなかった。
どちら派
石田様の生きかたこそ、人としての手本である。その石田様に刃向かう家康は愚か者である。今の時代、石田様の生き方が必要である。
気になる武将
決戦の声優が孫堅だから。
どちら派
やはり、正義でしょう、本当は三成の心情はどうだったのかわからないがなんとなく邪心はなかったと私はおもう。
気になる武将
表裏卑怯者と言われているが戦国の世を巧みな戦術で切り抜けたから。さらに関が原の戦いで西軍に味方したのはぐぅっとくる。
どちら派
三成派の埋伏の毒だから。
気になる武将
こやつは、太閤様の一族でありながら、裏切ったろくでなしだから。上杉政虎様を見習わせたい。豊臣に栄光あれ!
どちら派
三成様は人と呼ぶに恥かしからぬ寛大な御方であらせられる。義に生き、義に死す。誠に天晴れな御方である。死すべき時は彼の如くありたいものである。太閤様を批判なされる御方もございますが、今も昔も庶民の人気一番星は、太閤様を置いて他にはございますまい。我らの希望の星は彼にござりましょう。
気になる武将
関ヶ原後も西軍の中心人物だから。
どちら派
如水が、す・き・だ・か・ら・だー!!徳川家やその他の東軍大名はどうにでもなれってんだー!!
気になる武将
家康の天下より、彼の天下が見たかった。長政ー!!なぜ貴様は家康を左手で斬らんかったんじゃー!!ついでに言うと、東軍に味方してお家取り潰しになった諸君残念だったな。諸君の敵は三成ではなく、家康だったなー!!ふははははははは!!
どちら派
三成様こそ拙者を戦国の世にいざなってくれたお人。三成派が家康派を大きく上回っており満足満足♪なおも反家康同盟に多数参加されたし☆関ヶ原戦勝の暁には大挙江戸になだれ込もうではないか!痛快至極。
気になる武将
貴殿が伏見まで三成様を届けてくれたればこそ関ヶ原の挙兵もあったのです。感謝。また家康の会津討伐が実現していれば佐竹殿が家康の首を取って下さっていたかも☆秋田に三成様のお墓があるというのは本当ですか??
どちら派
冶部殿は、義に厚く、すばらしい人柄だから。家康なんぞとはわけが違うわ、身の程を知れ狸めが、あまり図に乗ると、冶部殿と共に、我が上杉が成敗いたすぞ。
気になる武将
偉い!冶部殿の死後、その一族を保護するとは。東軍にも見所のある奴がいるものだ。結城秀康殿の石田正宗もすばらしい。己の欲望のために動く家康めとはわけが違う。
どちら派
秀頼を立てようと努力したから。
気になる武将
敵中突破が格好良かったから。
どちら派
戦国を生きるには強かでなければならぬ・・。天下は回り物なれば・・家康の天下もその成り行きかと・・。
気になる武将
蜻蛉切に鹿角兜・・・強すぎです!主君のために全身全霊を以って忠勤し姿に感銘!
どちら派
西軍の諸将の生きざまに胸が打たれる。アツイものを感じる!
気になる武将
友情という言葉が無意味とされた戦国の世での、吉継の行動には、「こうごうしさ」を感じずにいられない!
どちら派
利家とまつでいい活躍をしていたし家康は何故かウザイから
気になる武将
何故家康側じゃなかったのに家康の家来になれたのかが疑問に思うし、大河ドラマにもなるし、こいつはただの剣士なだけで武将とは知らなかったぜ
どちら派
なんといっても家康がにくいそれに、三成の豊臣を思う心に感激したから。
気になる武将
秀忠軍を足止めした功は大きい!
どちら派
徳川家のほとんどの武将が嫌いだからじゃ!豊臣に好きな武将が多いからじゃ!関ヶ原と大阪の陣は豊臣好きのわしには辛いものがある。なぜなら関ヶ原では武断派と文治派が東西にわかれて争い、大阪の陣では豊臣が滅亡してしまうからのう・・悲しいのう・・トホホホホホ・・
気になる武将
貴様ー!ゆるさんからのー!!呪ってやるからのー!!!家康もじゃー!!!!
どちら派
えーっ!、「家康派」の人たちって、いるの?! 徳川家の子孫の人々以外は、普通は三成びいきでしょう。普通はね。 まあ、国民の道徳心の崩壊が問題になってる今の日本には、たぬきフェチの「天然記念物」みたいな人たちがいてもおかしくないのかな・・・・・。
気になる武将
この広家が「臆病」でなくて、「勇気」がそなわっていれば・・・・・。南宮山にこの人のお父さんの吉川元春、松尾山には金吾でなく、先代の小早川隆景がいたら、たぬきのじいさんはあっという間に壊滅されていたのになあ。 いわゆる元就の遺言は、ことここに至っては関係なく、合戦の状況に対し、臨機応変に動ける大将が「両山」に陣取っていたら、吉川・小早川の「両川」の家もずっとビッグになっていたろうに・・・・。
どちら派
そりゃー、どないゆうても、豊臣家の大忠臣の三成ハン、ほんま大好きでおまっせい! なにぃ、家康やてぇ? あのタヌ公、とことんワシが鬼の追い込みかけたるさかいのうっ!!
気になる武将
吉継ハンの義と友情、ほんま泣けてくるわ・・・・・。西軍の武将ハンら、みんな偉いわのうっ! それにひきかえ秀吉ハンの家来やったくせしてタヌ公に一味した連中ども、この金次郎さまが鬼となって地獄の果てまで追い込みかけさせてもらいまっせいっ! 覚悟しておくんなはれやあっ!!
どちら派
我が地元垂井町側に陣をはる家康殿じゃ。しかし毛利がわしの学校に陣を敷いている・・我が地元の竹中氏も東軍じゃ~
気になる武将
自分の学校に陣を敷いているから、行動に謎が多いから。
どちら派
家康の采配があっての勝利だと思うし、家康だから勝てたんだと思う
気になる武将
東北の武将としては上杉攻めに加わっていない数少ない武将で、大垣城攻めで見せた謀略の数々。戦前三成に恩義のある為信の心は揺れ動いたと思うけど、戦後、三成の子や西軍の関係者を保護、登用したり、とても義の心があっていいと思う。中央から遠く離れた北の地から来た智将はすばらしい人物だ
どちら派
秀秋が裏切らなければ西軍は勝っていた、、、、、家康は戦下手だから勝っていたはずだったのに、、
気になる武将
この裏切り者、秀家の岡山城を汚しやがって、、、、後に秀秋は死んでお家断絶いい気味だ。
どちら派
それがし三成公を心より尊敬しております!三成公は江戸時代の学者と徳川思想を今日も信じつづけている学者達の手により「主君の寵を笠に着て、豊臣を滅ぼした奸臣である」とされておりますが、それがしが思うに、それは江戸の学者や江戸時代に自分の身分を誇示し悪逆の限りを尽くされた徳川幕府の人間達が賜るべき言葉であり、三成公に賜るべき言葉ではないと思っています!そんな人間達に忠義だの義理だのを語る資格は無いと思います!!!そして、徳川思想を今日も信じつづけている学者達から正しい評価を得て、真の三成公が人々から評価される事を待ち望んでおります!!!!
気になる武将
それがしが個人的に好きだからです!それがしのくだらぬ考えを述べさせてもらうなら、恐らく改易処分後の正則公は、自分の非を悟り三成公や太閤様に深く詫びるために、観音様を拝んだのではないでしょうか。それとは別に他の子飼いの臣はそれに気づくことなく自分のやった事に満足し己の非を悔いることなく死んでいったのではないかと思っております。正則公は忠義の士としての道は外れていても人としての道は外れていないと、それがしまことに勝手ながら思っております!!!!
どちら派
石田殿の忠義心は家康に勝る!石田殿のような御方は一人は持っておきたいものだ。それを得た太閤様が羨ましいくらいものだ。それにいちゃもんをつける徳川など味方する気になりませぬ。自分を正当化させるために、石田殿を悪く言ういわゆる「徳川思想」は、あの当時の歴史を狂わせる愚行だ!
気になる武将
騙され続け、あげくのはてにポイ捨てされた。家康はなにを考えておるのだ。福島殿が哀れでしかたない。
どちら派
三成は、合戦もした事ないのに関ヶ原の戦をしたから凄いと思いました。
気になる武将
どちら派
戦国の世を終わらせ、200年にもわたる平和な時代の礎を築いたので、三成が勝利したら大変な時代になっていたことでしょう。
気になる武将
生まれがもう少し早ければ家康にかっわて天下が取れたろうに。
どちら派
家康派の武将たちを、どうしても好きになれない。その点、三成・秀家・吉継・行長などにはとても共感できるから、三成派に清き1票を投じます!
気になる武将
関ヶ原後、八丈島での約半世紀にもわたる生活ぶり、気になる気になる。大いに気になって仕方がない。
どちら派
私が9~10才の頃から、歴史上で一番立派な人は三成様と決めておりまする。
気になる武将
このお人の生き方は、涙なしには語れません。 我が心の師でありまする。
どちら派
我が御大将の古き友であるから。ただ それだけ。
気になる武将
我が殿にあるからでござりまする。世の中「負けるとわかっていて友の三成に加勢した」と言われるが もしそうだとしたらそれは愚かなり。我が御大将には勝算があった。人望薄き「三成」ではなく西方総大将に「毛利輝元」を挙げ、質はどうあれ小早川の大軍、上杉景勝、真田昌幸・幸村親子、宇喜多の軍勢、それに我が御大将「大谷吉継」があれば誰しも「勝算有り」と思うに違いなし。結果、見誤ってしまったけれどもね。。。小早川の小童、それにくっついた4つの細かい武将達。裏切らないで奮闘してれば、名将になれたかもね。
どちら派
信長の死後、三坊師をかつぎあげ結局は秀吉が天下ように天下人はその血統でなくその時代の権力者がとるのが当然だと思うから。
気になる武将
あくまで三成率いる西軍が負けるのを承知でしかたなく西軍に属し関ヶ原の戦いで敵中突破という並みの武将には到底真似の出来ないことを成し遂げたから。
どちら派
徳川の時代が好きじゃないからだ!三成なら真の平和をもたらしてくれそうだから。
気になる武将
黒田親子の軍略はとにかくスゴイ!徳川相手に一暴れして天下取るぐらいの勢いをしてほしかったなぁ。ついでに上杉や福島、浅野などの皆様にも暴れてもらいたかったなぁ。
どちら派
個人的に好きだから。秀吉にかわって悪評を一心に受けしかも忠義を尽くしたところ、家康からは“奸臣”と評され今日も悪人呼ばわりされてるところがかわいそうだから。
気になる武将
個人的に好きだから。黒田家と池田家、島津家や藤堂家や佐竹家や前田家、津軽家や上杉家なども個人的に好きだなぁ。
どちら派
石冶少殿の申せし信念たるや、まさに太閤殿下の御恩顧に応える唯一のもの也!!我が主と共に憎き内府を討つ!!
気になる武将
あの御仁はなにを企んでおる?な、何!?それはまことか!?
どちら派
ところでよく言われるのが秀頼の出馬があれば・・・ですが多少疑問があります。そもそも三成は多くの諸将を場合によっては騙し同然に陣営に引き入れたほどの政治手腕の持ち主です。いかに主君とはいえ秀頼一人を引き出せなかったのは不思議です。ところが、西軍派と言われていた淀殿が東軍派だったとしたら?三成が秀頼を関ヶ原に引きずり出せなかったのもそこに問題があると思うのですが・・・
気になる武将
三成の子ども達を匿い、その血は津軽家に流れたから。また、為信公自身も南部の圧政から津軽を救った英雄とも言える人物である。
どちら派
歴史に『もし…』は、禁物ですけど、伊達・上杉連合が、関々原に駆けつけていたら…。無用な戦いを避けるため、駿河・遠江を避けるでしょうから、真田親子vs徳川秀忠と遭遇し、一昼夜待たずに秀忠敗走。この一報が伝わると、内応していた、小早川・吉川が三成に加勢し、家康敗戦…。になるはずなのに、なぜ、伊達・上杉は動かなかったのか?世論が、次のニューリーダーを探していたからじゃないでしょうか?。秀吉を担ぎ続ける三成に世論は、NOという答えを出し、見渡した所、家康がいたのでしょうね。
気になる武将
家康も、世論の意見に十分すぎるほど、答えた。有名な小山評定や、1600年7月~9月に、108の外様大名に180通の手紙を書くなど、根回しも忘れていないし、59歳の老齢にも関わらず合戦に自ら参加している所など、世論が求めていたニューリーダーに相応しい人物像を作りあげている。大阪冬の陣・夏の陣でも、次のリーダーには、秀忠と世間にアピールしている。兵力・戦略・戦法云々を考える前に世論を味方にした家康の頭脳勝利だったんでしょうね。
どちら派
家康というか・・・家康の影武者派!家康はふたり存在した。本物の家康は関が原の戦前半で三成側の忍びにより討ち死にに・・・いつまでも行動を起こさない小早川に弾を撃ったのは影武者。関が原の戦いに勝ったのは影のおかげ。家康には将器があった。しかし心の中はあまり美しいものではなかった。それにひきかえ影武者の家康が考えをしながらも善の自分の心も加えた戦であった。家康は天下は徳川のものにするつもりだっが、影は豊臣に返すつもりだった。ただそうなれば自分の命があぶないと思い建てたのが駿府城である。息子に天下を譲って見張るために。だが極悪人な息子のせいで結局天下は徳川のまま・・・そして影も遂に毒を盛られ死す。影の名は・・・
気になる武将
彼は家康が先に死んだことを知っていたのだ。
どちら派
治部殿は、正義のために挙兵したのじゃ。義を重んじるそれがしは、三成派につきますぞ。
気になる武将
家康に一番近い大名で、よく西軍についた。
どちら派
ほんとに豊臣秀頼を盛り立ててくれそうだから
気になる武将
石田三成との、友誼を守ったから
どちら派
海道一の弓とりだから
気になる武将
猛将だからじゃ
どちら派
家康は卑怯だだが、三成は正義を貫いている
気になる武将
なんとなく
どちら派
あいかわらずワシって人気ないのう。くり-んでわかりやすう~い政治が人気の秘訣かのう・・・で戦国がおさまるかっつ-の!
気になる武将
いいねぇ。目立ってたねぇ。名を残したねぇ。
どちら派
豊臣氏が好きだから
気になる武将
どちら派
家康は卑怯で好きになれないから。
気になる武将
日本の諸葛孔明だから
どちら派
家康も三成もともに豊臣家のためと言っているが、家康はまったくそう思わない。逆に三成は本気で豊臣家の安泰を願っている気がするから。
気になる武将
結局東軍が勝ったのは小早川の裏切りが最大の要因だと思う。
どちら派
徳川家康は自分が天下を取るために戦ったが、石田三成は自分ではなく、豊臣秀吉の遺児の豊臣秀頼の天下にするため各国の武将に戦って欲しいと頼んだ石田三成が正しい!!!
気になる武将
あれだけの知略があるのならなぜ卑怯な徳川家康に勝てない?????
どちら派
某、筑前福岡52万石黒田家の末裔でござる。 徳川軍に属した黒田長政公を応援します! 吉川を参加させず、小早川を寝返らせた功績で、豊前中津からご加増でござる。 お家安泰!
気になる武将
徳川軍と言っても、言ってみれば第三勢力の黒田軍。 九州・中国の兵を引連れ、上方へ上れば、徳川軍などひとひねり・・・と行きたいところだったが。 無念でござる。 しかし、そうなると歴史が変わってしまう・・・。
どちら派
徳川家には全く興味がありません!むしろ三成の方に好感を抱いております!しかし黒田殿が東軍におるというのなら黒田殿に従い東軍につき申す!
気になる武将
まさか天か分け目の決戦があんなに早く終わるとは思っても見なかったでしょう。もし戦いが長引いていたなら、必ずや如水様が天下を取られた事でしょう!吉川、小早川の両名は余計な事をしてくれたものだ!そしてせがれの長政も家康を左手で刺し殺せば良かったのだ!
どちら派
秀吉様がおなくなりになったあと、家康の自分かってにはほどがある。
気になる武将
あの前田利家の子でありながらなぜ家康に?
どちら派
がんばってたたっかたから!
気になる武将
なんでうらぎったの?負けそうだったから?
どちら派
たぬきオヤジは嫌いだけど、ハゲオヤジも嫌い。福島正則がちゅきっ♪だからってことで。
気になる武将
何故西軍の軍勢を相手に戦って、何日も持ちこたえることが出来たのか疑問に思ってるから!
どちら派
石田三成は家康なんかよりよっぽど戦上手で、英雄と呼ばれるにふさわしい人間に違いない!なぜなら西軍で戦ったのは、大谷軍、宇喜多軍、小西軍、石田軍ぐらいで、それに倍以上の東軍が攻撃してきたにもかかわらず、石田軍は彼らを長い間撃退し続け合戦を有利に運び続けた。また陣のしき方を見ても、三成は家康を包囲する陣形を取ったのに対し、家康はそれに包囲されるような陣形を取った!彼は三成よりも合戦に多くでて、“街道一の弓取り”とか呼ばれてんだからきっと他のいい陣の取り方をいくらでも知ってたはずだ!また一説に寄れば家康は秀頼を味方につけていたとか、それなら三成は勝っても逆臣、負けても逆臣。こんな立場に置かれながらもたった一人で家康に立ち向かい、真に豊臣を想い、守ろうとした三成こそ真の英雄に違いない!
気になる武将
ひょっとしたら、こいつが動かなければ三成が勝ったんじゃないのか。家康はこいつの裏切りが無ければ敗走に追い込まれたんじゃないんだろうか?そう考えると家康は決して“街道一の弓取り”ではなく、部下の助けと運良く生き残ってきた狸親父にしかすぎない。残るのは汚さと民政だけでコイツは戦上手でもなんでも無い、運良く天下を取った、ただの狸親父にすぎないだろう。
どちら派
主家の繁栄を願い、自分を引き立ててくれた亡き太閤の恩を忠実に守り抜く姿は立派です。
気になる武将
こいつは、秀吉のおかげで大名になれたくせに、三成憎し!の思いだけで、家康の思惑をも悟れず結果的に大恩ある豊臣家を滅亡に導いてしまった。いくら三成が憎いとは言えども、許される行為ではない。あの世で秀吉や秀頼、三成にこっぴどく叱られていることだろう。
どちら派
彼のような主家思いの忠臣は、まさに戦国・安土桃山時代には珍しくもあるが、その男気に惚れました。
気になる武将
西軍の総大将を毛利輝元ではなく、宇喜多秀家にすれば、きっと勝てたような気がします。彼は、幼少から秀吉の養子として育ち、まさに太閤恩顧の大名です。前田利家の娘である、豪姫を妻にするほど秀吉の覚えもめでたいし、北政所も、秀家にだったら協力を惜しまなかったはずです。秀家になら、福島正則や加藤清正も悪い印象はなかったと思います。彼が、自らを太閤の養子であると高々に称し、かつ、幼い秀頼君に代わり、太閤殿下の遺命に背く、五大老筆頭・徳川家康を征伐いたす!と号令していればきっと西軍の大勝利になっていたに違いありません。彼ほど、秀吉に可愛がられた養子は存在しないのですから。彼が、秀家が総大将になるべきだったと思います。そして、三成が表舞台に立たず、息子・重家に家督を譲り謙虚にしていればなおよかったと思います。
どちら派
秀吉の恩を忘れず、時代に流されず、自分の信念を貫く姿勢は素晴らしい。
気になる武将
私は蒲生氏郷が好きなのですが、根本的には秀行ではなく、氏郷が生きていたらと考えてしまいます。彼が生きていたら、まず家康は楽に勝てなかった。彼は、大の家康嫌いで知られ、大の利家びいきだったから。利家が生きていれば、氏郷と組んで家康と戦っていたかも知れないし、利家亡きあとは、自らが天下を狙おうとしたかも知れないが、決して家康にはなびかなかっただろう。また利家の息子の利長を総大将に、前田家・蒲生家・浅野家・細川家らと徒党を組んで一大勢力になっていたかもしれない。言える事は、彼は決して、家康にはなびかなかっただろうと思う。そして、彼を殺したのは、氏郷の武勇を恐れた家康なのではなかろうかと私は思う。
どちら派
下克上や謀略、命のやり取りをする時代の波に巧く乗った武将だからです。きれい事の許されない戦国時代の覇者だからです。ちなみに豊臣秀吉、秀頼の回りには、三成をはじめ淀君、大野三兄弟など家来や奥方の貧凡により豊臣衰退を早めたみたいです。結局一門家来に恵まれていなかったんですね。
気になる武将
この武将がいなければ家康も安心して出兵できなかったでしょう。
どちら派
いろいろ細かいことはいっぱいありますが、とにもかくにも、天下分け目であるが信長、秀吉に続き天下統一を形にした家康の力は他の武将には到底かなわないと思います。時代が彼を選んだように思います。
気になる武将
勉強不足で東軍に加わった理由がはっきりわからない知りたい!
どちら派
個人的な、好き嫌い。三成は頭が切れても周りが見えず人望の無い奴。・・というイメージです。うちの上司にもそんな奴がいますが、大嫌いだから・・・。
気になる武将
関ヶ原前哨戦の一番の功臣。伏見城の件はどのような文献を読んでも壮絶。忠実な三河家臣団の象徴のような一件では?
どちら派
三成さんは人望がない。将来性も考えて、待ちに待って決戦に臨んだ家康さんのほうが安定した戦いができる。と思ったから。
気になる武将
加藤清正と福島正則は絶対一途で可愛いキャラをしているから!この二人が東軍についたからこそ、家康さんは勝てたと思う!
どちら派
三成の人間性が嫌い。
気になる武将
関ヶ原の戦いは直江山城守兼続がひきおこしたようなものだから。兜の愛の前立てがカッコイイ~!!
どちら派
三成の人柄に惚れたから。
気になる武将
どちら派
自分と性格が似てるからかな。
気になる武将
やっぱり、家康の信頼があつかったし。世渡り上手だったからかな。
どちら派
戦国に正義も何も無い。そんなものを気にしていたら、滅びるのは当然だ。
気になる武将
関ヶ原の最大のキーマン
どちら派
三成の儀に今の日本人に欠けているものを感じる。しかし、彼は、将の器ではなかった。西軍には、将の器の人がいなかった。利家が死んだ時点で家康の天下だった。
気になる武将
彼が裏切らなければ西軍が勝っていたはず。現在の日本も変わっていただろうし、鎖国もしていなかったかも。